伊賀上野地震、被害記す文書発見 奈良の寺、余震で報告遅れ 2024年12月26日 幕末の嘉永7(1854)年に三重県や奈良県周辺で千人を超える死者を出したとされる「伊賀上野地震」の被害を伝える古文書が、奈良県山添村の観音寺で26日までに見つかった。余震が続く様子や、寺の被害状況が... 残り 460 文字 このページは会員限定コンテンツです。 会員登録すると続きをご覧いただけます。 無料会員に登録する 会員プランを見る 会員登録済みの方 ログインする この機能はプレミアム会員限定です。 クリップした記事でチェック! あなただけのクリップした記事が作れます。 プレミアム会員に登録する ログインの方はこちら