とっとりの鉄道120年 第2部 鉄道の発展と地域 (6)戦争と鉄道

 敷設案を作成した鉄道会議の初代議長に川上操六陸軍中将が任命されたように、鉄道の路線決定には軍の意向が強く反映された。鳥取と姫路師団を結ぶ陰陽連絡線は、勾配がより緩やかで大量輸送に適した和田山経由に変更された。1902(明治35)年の陰陽連絡線の最初の開業区間が、軍馬輸送を目的に軍馬補充部大山支部を近くに持つ御来屋まで開通したこともその表れである。

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