岸田首相には、ずっとのど元に刺さった小骨があった

退陣の裏で画策された続投の「奇策」【裏金政治の舞台裏(6)】

  • 記者会見で自民党総裁選への不出馬を表明する岸田首相=8月14日、首相官邸
  • 自民党の政治刷新本部の初会合に出席し、取材に応じる菅前首相=1月11日午後、東京・永田町の党本部
  • 1978年11月28日、自民党総裁予備選で1位になった大平正芳氏(左)と会談する福田赳夫首相=首相官邸
  • 自民党が決めた処分
  • 自民党の選対本部会議を終えた麻生副総裁=7月25日

 自民党総裁選は現職優位の歴史がある。にもかかわらず、岸田文雄首相は再選を諦めて内閣の退陣を決めた。その最大の理由は「自民党トップなのに派閥裏金事件の責任を取っていない」という批判だ。政治不信の逆風が...

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