#04 新しい街 米子サウス 疾走する自転車が起こす小さな風

米子サウス

 

 めぐみ公園は、米子駅南口ロータリーの近くにある。新しいマンションや飲食店が増え、「米子サウス」と呼ばれるエリアにあって、オアシス的な存在だ。

 音羽(おとは)は、電車の形をした滑り台で遊んでいる。石倉舞(いしくら まい)が付き添ってくれるので、ミチルはベンチに座って様子を見ていた。フリーのウェブデザイナーをしている舞は、中学高校を通じての友人だ。

 その日、夜勤明けのミチルが昼頃に起きると、「いい天気だから出てこない?」と舞からメールがあった。仕事で近くまで来たらしい。「久しぶり。いま行くね」と返信し、大急ぎで着替えた。

 ミチルと音羽は、母の由美子(ゆみこ)と一緒に、米子サウスにできた低層マンションで暮らしている。ミチルが11歳のときに父が病気で亡くなり、小学校教員の母がミチルと妹を育ててくれた。3つ下の妹は、カナダでツアーコンダクターをしている。

「ママ、喉かわいたー」

 汗で額を光らせながら、音羽がやってきた。今は10月、空は高く風は爽やかだけれど、日中はまだ動くと汗ばむ。木陰のベンチに移動して、水筒とアルミホイルに包んだおにぎりを渡す。

「音ちゃん、おにぎり美味しそうだね」

「うん」

 舞に言われて頷くものの、実際の音羽は小食で、食べることにあまり興味を示さない。食べられるものが限られているから仕方ないけれど、やっぱり心配だ。

「小柄だけど元気じゃないの。そのうち、何でも食べられるようになるよ」

「そうだといいんだけどね」

「大丈夫だって。それにしても、駅の南側は変わったよね」

「うん、住みやすいよ。便利だし、緑も多いし」

 以前の矢野家は、駅まで距離があった。建物が古くなっていたこともあって、ミチルの離婚後、母と一緒に移ってきたのだった。

遊び疲れたのだろう、音羽はミチルの膝でうとうとし始めた。

「今更だけど、ミチルが結婚したときは意外だったな。何であの人?って思ったもん」

「同窓会に怒鳴り込んできた人だもんね」

「それでミチルが言い返したじゃない。20歳の記念日なんです、怒らずに祝ってくださいって。さすがは学級委員長!と思ったよ。で、それがきっかけ?」

「まあね――。バリバリ仕事ができて、お金があって、生活に不満はなかったかな。でも、やっぱり看護師を続けたくなったんだよね。あの人は嫌がってたけど」

「そもそも、ミチルに<奥様>は無理でしょ」

 舞はそう言って笑った。まったくそうだ。でも、音羽という娘が持てたことはよかったし、それだけは別れた夫に感謝している。

 舞と別れ、ミチルは音羽とマンションに向かって歩き始めた。

 色づき始めた木々の葉に、琥珀色の秋の陽が降り注いでいる。通りには、手作り風の雑貨や、どこから集めてきたのかと思うようなレトロな物を扱っている店もある。

「ママ見て、ゾウさん」

手をつないだ音羽が、足元を指さして言った。駅からめぐみ公園までの歩道には、動物の絵柄のタイルがはめ込まれている。

「そうだね。こっちにはおサルさんがいるよ」

「おサルさんと違う。それはダマケモノ」

 どうやらナマケモノのことらしい。ミチルにはサルにしか見えないが、音羽は動物好きだから、テレビや絵本で覚えた名前を使いたいのだろう。

 ふと見ると、80代くらいの女性が、シルバーカーを押しながら車道の端を歩いていた。車と接触しそうで危ない。歩道に上がるよう声をかけようとした瞬間、後ろから走ってきたバイクがシルバーカーに接触し、女性がよろめいて転倒した。バイクはそのまま走り去っていく。

「大丈夫ですか!」と、「ちょっと待ちなさい!」が一緒に声に出た。でもバイクは止まらない。

「ちょっと待てー。止まれー」

 一台の自転車が、猛スピードでバイクを追いかけていた。猛スピードといったところで自転車だ。バイクに追いつくのは無理だろうけど、ひょろりとした背中には見覚えがある。もしかして田所くん?

 ミチルは看護師であることを告げ、女性の具合を診させてもらった。縁石で腰を打ったものの、骨折はしていないようだし、手のひらの擦り傷も血が滲む程度だ。

「念のために、かかりつけのお医者さんで診てもらってください。診断書も貰ってくださいね」

「ほんに助かりましたわ。もうびっくりして……」

 起き上がった女性がミチルに頭を下げる。そこに、自転車とバイクが連れ立って戻ってきた。自転車は、やはり田所大河だった。

「すみません。当たったなと思ったんですけど、怖くてつい……。ほんとにすみません」

 20歳くらいの青年は、そう言って何度も頭を下げた。この夏に免許を取ったばかりだという。

「よく追いつけたね」

 ミチルが言うと、「スピードを緩めてくれたんだ。本気で逃げるつもりじゃなかったと思うよ」と大河は答えた。青年が申し訳なさそうにうなずく。やって来た警察官も、「当て逃げ犯にならなくてよかったな」と言っていた。

 ミチルは、女性を家まで送っていった。バイトに行く途中だったという大河は、「あと頼むよ」と言って先にいなくなったけれど、ミチルがもう寝ようかという頃になって、《今日はお疲れさまでした》とメールが来た。《学級委員長はやっぱり頼りになります》の後に、ニッコリの絵文字が付いている。

いや、今日のヒーローは田所くんだよ。

ミチルはそう返事を打とうとして、迷って、やめた。

 

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

次回 #05 皆生温泉 は8月12日更新。乞うご期待!
日本海新聞ホームページにて毎週土曜日に掲載します。

 

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