軍事施設だった甲子園、貴重写真で明らかになった「空白期」の姿

「野球の聖地」の別の顔、アメリカ人写真家が神戸市文書館に寄贈

  •  占領下の時期に米兵が撮影したとみられる甲子園球場の写真(神戸市文書館提供)
  •  甲子園球場=2023年8月
  •  甲子園球場の歩み
  •  甲子園歴史館に展示されている、弾痕が残された鉄扉=兵庫県西宮市
  •  甲子園球場が終戦後、GHQに占領されていた時期とみられる未公開写真9枚が見つかった。球場外で撮影された1枚では、兵士の後方に「KOSHIEN STADIUM」と書かれた看板が写っている(神戸市文書館提供)

 8月1日に開場100年を迎えた甲子園球場(兵庫県西宮市)には、軍事施設だった歴史がある。太平洋戦争中の1944年から終戦までは日本軍が、1945年10月から1954年までは米軍が利用していた。軍需工...

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