2021年の東京五輪ボクシング女子フェザー級に出場し、鳥取県勢初の金メダルに輝いた入江聖奈さん(22)=米子市出身=は現在、競技を引退して大学院へと進学し、大好きな「カエル」の研究に没頭している。さっそうと現れた東京五輪のヒロインは、その明るく純朴なキャラクターで国民的な人気者となり、コロナ禍で沈んだ空気を振り払った。本紙創刊140周年を記念し、入江さんに地元のジムで育まれた強さの秘訣(ひけつ)やカエルの研究中心の現在の暮らしなどを、“地元目線”でたっぷりとインタビューした。 (聞き手は新日本海新聞社社長・吉岡徹)
人と違うこと身につける
-お会いできて光栄です。今回は創刊140周年の特別インタビューとして、読者の皆さんに入江さんのメッセージをお届けします。東京五輪で頂点を極め、「世界の入江」となりました。周りの対応が大きく変化したと思いますが、戸惑いはなかったですか。
「そうですね。オリンピックの直後は初対面の方に会うと金メダリストの印象から入ってこられるので、なかなか私の素の姿を出しづらかったです。自分の変化以上に周りの変化が大きく、そのギャップについていけないというか、取り残されている感じはありました」
-マスコミ取材やテレビ出演も急に増えましたからね。
「こんなふうになるんだ、と思いました。それだけ金メダルはすごいことなんだと、思い知らされました」
-今でも、どこへ行っても注目を集めるのではないですか。
「もうオリンピックから2年たちましたし、そこは落ち着いてきました。鳥取でも徐々に素の自分が出せる感じがしています。でも、声をかけていただけるのも本当にありがたいことです」
「有終の美」で引退
-昨年、全日本選手権で吉沢颯希(さつき)さんと戦い、優勝して引退された。頂点を極めたところで選手生活を終えるのは勇気がいる。当時はどういう心境でしたか。
「ずっと全日本選手権を最後に引退するイメージはありました。日本ボクシング連盟が最優秀選手賞をプレゼントしてくださり、メディアにも出させていただき、引退の日にいろんな方が送り出してくれて、一ボクサーとして、一アスリートとして、本当に幸せ者だなあってかみ締めていました」
-レジェンドとして一生をボクシングにささげる人生の選択肢もあったと思います。そこで研究者への道を選ぶのは、とてつもなく大きな決断だったと思います。それができたのはなぜですか。
「私がボクシングを始めたきっかけが『がんばれ元気』という漫画なんですが、その主人公も世界タイトルを取ってすぐやめています。有終の美を飾って競技人生を終わるのが、私の中で大きい目標としてありました。ボクシングで食べていくつもりは一切なく、指導者に向いていないのも分かっていました。ボクシングじゃなくて『ここで生きていくんだ』っていう新しい所がほしくて、競技をやめました」
-競技人口が少ない鳥取県から世界チャンピオンが生まれたのは、県民の誇りです。後輩が育ってほしいという思いもあるでしょう。
「そうですね。女子ボクシングやアマチュアボクシングは、日本ではまだまだマイナー競技です。そこを盛り上げていくためには結果が一番重要になってきます。次のパリ五輪で金メダリストが出たら、また盛り上がってくれるのかなと思います。その選手が鳥取県民だったら、より最高ですね」
親友「リン」への期待
-小学2年でボクシングを始めてずっと続けてこられました。世界を目指せると感じたのはいつごろからですか。
「東京オリンピックまでの道のりが明確になってきたのは高3ぐらいです。世界ユース選手権という高校生の世界選手権で銅メダルが取れ、世界に行っても戦える自信がつきました。さらに高3で全日本選手権をシニアの部で優勝できたので、そこで東京オリンピックへの道筋が見えた感じがしました」
-同郷の木下鈴花(りんか)さんとも、子どものころから一緒にトレーニングをしていました。木下さんもパリ五輪金メダルにかなり近い位置にいるのではないですか。
「幼なじみで、ずっと仲良くしています。彼女は日本人女子初のアジア選手権金メダルという偉業を成し遂げており、日本人女子選手の代表の中では一番近い所にいると思います。彼女がボクシングをしている限りはライバルなので、自分の成績が越されたら少しだけ複雑な気持ちになるけど、リンには親友としても幸せになってもらいたいので、彼女が望むものを手に入れてほしいです」
自分だけの武器
-入門したシュガーナックルボクシングジム(米子市)で、世界で戦う入江さんを育てたトレーニングを教えてください。
「人と同じことをしていたら、(世界で戦うのは)まず無理ですね。人と同じセオリーを持っていても駄目ですし、やっぱりどこかで自分だけの武器、自分だけの練習は突き詰めないといけません。(シュガーナックルボクシングジムの)伊田武志会長は常に異質というか、最先端すぎるというか、人と同じ練習をさせる人ではありませんでした。今となっては、人と違うことをするのが世界一になる上では大切だったんですね」
-伊田会長のトレーニングは具体的にどんな内容でしたか。
「例えば『4発バック』といって、4発打って下がる、4発打って下がるを20分とかひたすら繰り返すトレーニングや、サンドバッグを押す練習などです。とりあえず異質でした。他のジムではまず見たことがないですね。4発バックはフットワークの基礎になったと思うんですが、練習の効果どうこうじゃなく、人と違うことをするっていう考え方は、今の自分にも生きていると思います」
-入江さん自身は世界と戦うためにどんなことを考えていましたか。
「常々、“自分だけの武器”は絶対見つけないといけないと考えていました。オールマイティーに強くなろうとしても、その部分で才能を持っている人たちには負けてしまう。私は『左ジャブ』に磨きをかけました。人と違うものを身につけるっていうのは、スポーツにおいて必要だと思います」
-全て完璧を目指さなくてもこれだけは絶対に負けない武器を研ぎ澄ます、ということですね。
「そうです。他は世界の平均レベルでもいいんですが、特化した何かを身につけるっていうのは、才能が普通の一般の人が世界で戦う上では大切です」
-左ジャブは相手にとっても脅威だったでしょう。
「そうですね。相手にたくさん当てることができました。ジャブだけは自信がありました。ボクシングには『左を制するものは世界を制す』という格言があり、小学生の時に聞いてから、母の買い物袋を左手で持ち手首を鍛えたりしていました。それが本当に左ジャブに生きたかはさておき、いろんな練習をして武器を身につけるためには、できるだけ長い期間があった方がいいと思います」
“両立”は困難
-引退した今でも、例えばボクシングの試合をしている夢を見ることはありませんか。
「夢は見ませんが、世界選手権とかがあると、私だったらどうやって勝つかなというのは絶対考えてしまいます。試合を見て『わーっ、すごい』とはなりません。引退しても負けず嫌いが続いているので、私だったらこうして絶対攻略するなとか考えます」
-入江さんにボクシングの指導を受けたい人は多いと思いますが、カエルの研究の道に進まれました。研究をしつつ、一方で指導をする考えはありませんでしたか。
「ないですね。指導者になるならなるで、やっぱりそれを極めたいです。中途半端にカエルと指導者、どっちも手出しするっていうのは、私は不器用なので絶対どっちも中途半端になって終わるのは明らかですから」
-カエルの研究で思い浮かぶのは、新5千円札の肖像になる津田梅子さん。津田さんは2回目の留学の時に、米国の大学で生物学をやられて「カエルの卵の定位」というカエルの発生に関する論文をまとめられました。入江さんの研究テーマを教えてください。
「私は発生がテーマではないのですが、カエルの生き様の面白さを世に広められる研究をしたいです。最初はカエルの防御行動を研究しようと思ってたんですが、指導教員との間で、その前に都市環境、自然環境における防御行動の違いを調べたり、死亡率を突き詰めないといけないということになり、多分、修士研究では生態学を重視して研究していきます」
-カエルの種類は世界で6千~7千種います。どのカエルを研究対象にするのですか。
「好きなヒキガエルの研究をしたいんですけど、種に特化した研究をするのが目的じゃなくて、ヒキガエルならではの特徴からカエル全体、生き物全体に貢献できるような研究というのが大事だと考えており、あまりニッチなところを詰め過ぎないようにと、バランスを意識しています」
-鳥取にもヒキガエルはたくさん生息しています。実際にヒキガエルは飼われているんですか。
「はい、ちっちゃい子ですけど。『マロちゃん』といいます。それとベルツノガエルの『ジャイ子』も。かわいいですね。実家で飼っており、普段は父に世話をお願いしています。帰省の時にめでているっていう感じです」
充実のカエルライフ
-これから長い時間をカエルの研究にささげられていくことになりますね。
「ドクター(博士課程)は絶対取るって決めていて、その先は未定です。研究者になるか、お仕事をするか。まだ迷っています」
-極めたらまた次の目標ということもあり得ますね。
「死ぬまでにカエルを極めることができるんでしょうか。研究していったらあれもしないといけない、これもしないといけない、というのが出てくると思うので、一生終わらない感じがします。カエルを極められたらっていう想像がまだつかないです」
-大学院生としてどういった生活を送っているのですか。
「今は本当にカエルが忙しい時期なので、ほぼ毎日フィールドワークに出かけて、それ以外の時間に授業に行ったり課題をしたり。先行研究とか研究計画書を書いたりと結構、充実した時間になっています」
-フィールドワークは楽しいですか。
「今までボクシングの練習の合間を縫ってカエルを見に行っていたんですけど、今はカエルの調査に行ったら『頑張ってるね』って褒められる世界なので。カエルのことしかしていないので、いやー、すごく楽しいですね」
-外では新しいカエルとの出合いもありますよね。
「そうですね。ニホンアカガエルっていうカエルは、結構田んぼにいるイメージがあったんですけど、都内でも見られる公園があって、ここでも出合えるんだと驚きました。図鑑だけじゃ分からないことがたくさんあります」
-今は体力を維持するためのスポーツは何かされていますか。
「やっていないですね。フィールドワーク自体がスタミナ勝負なので。自転車も50キロこいで行ったりします。ボクシングとは違う筋肉の使い方ですけど、日々歩き、自転車をこいでおり、最低限の運動は確保できています。アスリートの頃に比べたらもう走れないですけど」
カエル研究にまい進
自分の気持ち大切に
-カエルの研究を通じて、人として学ぶこともあるでしょう。
「たくさんありますね。カエルの繁殖を見に行くと、例えば片腕がないのに何も気にせず、堂々と繁殖場所にやってきます。私もボクシングで才能がないのかなと落ち込んだことがありますが、ハンディがあっても意気揚々とやってくるカエルを見ていたら、少しぐらい才能がないぐらいで落ち込んでちゃ駄目だなと感じました」
-ただ、そのハンディを克服できない人もいっぱいいます。
「難しい問題ですけど、才能がないと思って新しい道に行くのも、それは一つの生き方だし、絶対に間違いではない。むしろ正解かもしれない。別に好きなことを極めて生きていくのが正解ではありません。人それぞれ自分が楽しいなとか、こっちのほうが充実してるなって思う方向に行けばいいだけの話です。こうしなきゃいけない、好きなことだから極めないといけないとか思うんじゃなく、自分の気持ちを大切にしてほしいなあと。自分と会話しながらどんな人生にするか決めていっていただけたらと思います」
地元PRにも協力
-冒頭、日本海新聞は今年で創刊140年だという話をしましたが、入江さんにも小学生の頃から新聞に登場していただいています。新聞に対する思い入れを聞かせてください。
「はい、いつも取り上げていただいてありがとうございます。地元の人の自然に対する取り組みとか、そういう特集を読むと、結構鳥取県はすごいなと誇らしくなります。これからも地元の方が頑張っている姿を取り上げていただけると、同じ県民として私も頑張らないとって思うので、そういう記事をいっぱい読みたいですね」
-鳥取県は好きですか。
「大好きですね。カエルみたいな大好きじゃなくて、家みたいな。大好きっていうよりは安心感が勝つので、帰れば落ち着くみたいなところが、私が鳥取県を好きな理由です」
-米子城をPRするプロモーション動画にも出演しておられました。地元のPRに協力したいというお気持ちは大きいですか。
「もちろんです。やっぱり鳥取県のことをもっと知ってもらいたいです。故郷なので、もし協力してほしいということでしたら、それはもう喜んで、私でよければ、たくさん頑張らせていただきたいです。米子城は遠足で行ったり、友達と行ったり、練習で登ったりといろんな思い出が詰まっています。PRする人間として選んでいただき、本当に光栄です」
-今後も入江さんへのオファーは多いと思いますよ。
「おかげさまで講演の話をいただいたり、インタビューの話もいただいています。オリンピックから2年たってもお話を聞いていただけるのは本当にありがたいと思います。いつまで鳥取県の顔として活動できるか分からないですけれど、できることは全部やっていく気持ちでいます」
カエル「気にかけて」
-今後もテレビなどに出演されるとき、入江さんが世間に知っていただきたいのは、やはりカエルのことが中心ですよね。
「カエルを広めるべくテレビにも出させていただきたいし、他のメディアや媒体にもそうです。本当に運良く金メダルが取れ、カエル好きな人間として知ってもらえたので、そこは生かしてカエルのためにいっぱい活動していきたいです」
-手応えとしてはどうですか。カエル好きが少しずつでも増えてきた感じはありますか。
「確信が持てるほどではないのですが、私のおかげでカエルが見られるようになったとか、かわいさに気づいたという声もあるので、カエル、カエルと言い続けてよかったなと思っています」
-最後に読者の方へのメッセージをいただけますか。
「どれくらいの方が私を気にかけてくださるか分からないんですけど、私は東京で日々、カエルにまみれて元気にしてますので、どこかで見かけたら、ああ出てるなと思っていただけたら光栄です。鳥取県でもカエルは結構レッドリストに載ったりしており、意外と減っています。入江が好きな生き物だなと思うだけでもいいので、気にかけてくださると、私がすごく喜びます」
-全国でもカエル好きが一番多い県になればいいですね。
「それは完璧ですね。平井伸治知事のカエルのダジャレもぜひ聞いてみたいですね」
-本日は貴重な話をありがとうございました。
入江 聖奈(いりえ せな) 米子西高から日体大に進学。小学2年から地元ジムで競技を始め、中学3年まで全国大会を5連覇。2018年の世界ユース選手権で3位、20年3月の東京五輪アジア・オセアニア予選で準優勝。21年の東京五輪はフェザー級で優勝し、日本女子ボクシング界初、鳥取県勢としても初の金メダルを獲得した。22年11月の全日本選手権で2連覇を達成したのを最後に競技を引退し、23年4月に東京農工大大学院に進学した。21年に鳥取県民栄誉賞と県スポーツ最高栄冠賞を受賞している。同県米子市出身。22歳。