ナースステーションの前にツリーが置かれる時期になった。明日はクリスマスイブだ。
ミチルが勤務する7階病棟に点滅するのは青や白の大人びた光だが、2階の小児病棟のツリーはレインボーカラーにきらめき、サンタやトナカイのオーナメントも飾られている。
その小児病棟に、1週間前から音羽が入院していた。一歳のときは食物アレルギーによるショック症状だったけれど、今回は気管支喘息による呼吸不全。寒さが増すにつれ、以前からの喘息が悪化してしまったのだ。
午後4時までの勤務を終えて病室に行くと、「ママ、今日、手品の人が来るよ」と、音羽が言った。隣のベッドの子が、「おうたも歌ってくれるよ」とうれしそうにいう。
「うん、知ってるよ。楽しみだね」
ミチルは答えながら、音羽の様子を見た。ひどかったヒューヒュー音が治まっているし、顔色もいい。年内には退院できそうだ。
「じゃあ、ママはプレイルームの準備をしてくるからね」
プレイルームは家族と接したり、遊んだりするための部屋だ。家に帰れない子どもたちのために、毎年ささやかなクリスマス会をそこで開く。今年はアーティストが集まる「アルゴ村」から、マジシャンと音楽ユニットに来てもらうことになっていた。
「アルゴってどういう意味?」
アルゴ村に住んでいる石倉舞(いしくら まい)に聞くと、「ギリシャ神話に出てくる船の名前らしいよ」と教えてくれた。「冒険者たちを乗せたんだって」
「へえ、なんだかカッコいいね」
村といっても、所在地は米子の中心商店街だ。ミチルが小さい頃はアーケードの続く商店街だったけれど、今は屋根が取り払われ、開放的な通りになっている。その伝統的な町屋に、画家や演奏家が滞在し始めたのはいつ頃からだったろう。今では20人くらいの、さまざまなジャンルのアーティストが暮らしているらしい。
2か月ほど前にも、ミチルは舞が住む家に行った。路地のように続く土間の片側に部屋があって、ウェブデザイナーらしく、パソコンやモニターが並んでいた。
「この家にはあと2人住んでて、キッチンやお風呂は共有。なんか合宿所みたいだよね」
「いいね。学生時代の続きみたいで」
「カレーとか作ると、まわりの家からも食べに来て、ますます合宿っぽくなるんだけど、その中に変わった人がいてね。ボギーさんていう男性マジシャンなんだけど、もじゃもじゃの頭にオカメインコを飼ってるの」
「頭にオカメインコ?」
「うん、いつも頭に乗ってるか、頭で寝てる」
「面白そうな人だねえ」
それで、舞を通じてお願いして、クリスマス会に来てもらうことになったのだった。
長身のボギーさんが頭にオカメインコを乗せて登場すると、子どもたちから「わあっ」と歓声が上がった。レモン色の冠羽に、スタンプを押したみたいな頬の赤。「コニチワ」とお辞儀する姿もかわいい。
ボギーさんは、手のひらから紙吹雪が出てきたり、ステッキが花束に変わったりといった、子どもが喜ぶマジックを次々に披露してくれた。
一つ成功すると、「ヒュー、ヒュー」とインコが口笛を吹く。それがおかしくて、子どもたちが笑う。音羽も釘付けだ。
女性3人組の音楽ユニットは、「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」を、子どもたちと一緒に歌ってくれた。スクリーンに映し出される雪景色や、ソリを引いて走るトナカイの映像は舞の手によるものだ。幻想的で美しい映像には、大人のミチルでも引き込まれてしまう。
後片付けをしてから音羽の病室に戻ると、元夫の木島裕也(きじま ゆうや)がいた。「クリスマス会、楽しかったな」と音羽に言い、音羽も「うん、鳥がかわいかった」と答えている。
どこで見ていたのだろうか。プレイルームには親たちも来ていたが、木島がいるのは気がつかなかった。
「もう夕食の時間だから」
ミチルが言うと木島は「そうか」と答え、「早く元気になろうな」と娘の頭をなでた。
「ちょっと話せるかな」
木島に言われて1階のカフェに入った。ガラスの向こうはとっぷりと暮れ、木々に取り付けられたイルミネーションが幻想的な光を放っている。
「話って何でしょう」
木島はガラスの向こうに目をやっていたが、「先月、田所大河くんを観月楼に誘ったんだけどね、断られたよ」と言った。
「田所くんを? どうして?」
「料理のセンスがあるからだよ。それもかなり。ところが、自分はまだそんな金額を貰えるだけの能力がないといって断ってきた。面白い奴だね」
田所くんらしいな、とミチルは思った。せっかくおいしい餌が目の前にあるのに、わざとそれをよけてしまうようなところが、中学時代にもあった。あえて損な役を引き受けるみたいな――。
「話って、それ?」
「いや、実は付き合ってる人がいて、結婚しようと思ってる。まあ再婚だけど。向こうにも5歳の男の子がいてね、音羽と一緒に育てたいんだ」
「それって……音羽を渡せということですか」
「両親がいて兄がいる、そういう家庭で育つのが音羽のためだと思うんだ。経済的な面でも……」
「無理です。そんなの絶対に嫌。ありえない」
全力で拒否するミチルに、「もちろん、すぐに承知してもらおうとは思ってないよ」と木島は言った。「でも、音羽の将来のためにどっちがいいか、よく考えてほしい」
木島が帰ったあとも、ミチルはカフェの隅に座っていた。別れるときは子どもなんていらないと言ったくせに、何をいまさら、と思う。ひどいクリスマスだった。
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
次回 #07ウォーターフロント は8月26日(土)更新。乞うご期待。
日本海新聞ホームページにて毎週土曜日に掲載。