#03 パワーがはじける米子がいな祭 その夜の小さな事件

がいな祭

 盆が過ぎると、ツクツクホーシの声が聞こえるようになる。夏も終わりが近い。

 その日の午後、田所大河(たどころ たいが)は米子駅の南口にある「ラ・マンチャ」の面接を受けに行った。店名からするとスペイン料理っぽいが、実際には和洋折衷の創作ダイニングのようだ。「マンチャ」には、米子弁で「ごまかし」という意味があり、それと掛けたものらしい。

 このへんも新しい店が増えたなあ、と思う。プラタナスが植えられた通りの両側に、個性的なカフェやレストラン、低層階のマンションなどが並び、オランダかベルギーの街並みに迷い込んだような気がする。

 もちろん、大河はオランダにもベルギーにも行ったことはないけれど。

「へえ、神戸のホテルに10年いたの。さっそくで悪いけど、2、3時間手伝ってよ。今日はがいな祭だから混むんだよね。いいかな」

「はい、わかりました」

 米子っ子の大河にとって、がいな祭は心躍る夏のイベントだ。今年は60回の節目らしく、北口の広場には大きなステージが組まれていたし、駅前通りはよさこいやサンバを踊る人たちで盛り上がっていた。

 午後5時のオープンから、客が次々に入ってきた。

 ビール、サワー、カンパリ、ウーロン――。

 生ハムサラダ、白イカ刺、スパイシーからあげ、魚介のパエリア――。

 大河は指示されるままに野菜を刻んだり、鍋をオーブンに入れたり、皿を洗ったりした。久しぶりだから、包丁を握るのも緊張する。

「要領は今一つだが、包丁の扱いはなかなかいいな」

 以前、洋食の料理長がそう言ってくれたことがあった。ホテルを辞めた直接の理由は、フロアチーフからの嫌がらせに我慢できなくなったからだが、目を付けられたのは「車で目玉焼き事件」がきっかけかもしれない。

「お前なんか、定年まで調理補助だよ」と、何度スタッフの前で言われたことか。思い出すと、今でも悔しさが込み上げる。

 祖父の病気と自分が関係ないことはわかっている。わかってはいるが、帰った日に、「そげか……。もう少し辛抱できんかったか」と言われたのはこたえた。

 祖父の意識がはっきりしたら、「もう一度がんばってみるよ」と伝えたい。「じいちゃんに負けない料理人になるから」と言いたい。可愛がってくれた祖父に自分ができるのは、それくらいしかない。

 3時間ほど働いて外に出ると、すっかり暗くなっていた。通りを歩くのは、新しくなった東山公園のスタジアムに向かう人たちだろう。今夜はがいな祭に合わせて、ライブイベントがおこなわれているようだ。

 さて、万灯を見に行くか――。大河は、「がいなロード」を通って北口に出た。がいな万灯パレードがたけなわだった。50個近い提灯を付けた竿はビルの4階くらいまであり、重さは40キロくらいあるらしい。

 そんな万灯が、30基以上も通りを埋める光景は、壮観そのものだ。米子駅をバックにして、無数のオレンジ色の灯が夜空に映える。

 

 歩道の先に矢野(やの)ミチルの姿が見えた。きょろきょろして、なんだか慌てている。

「あ、田所くん。音羽(おとは)がいなくなったの。探してるんだけど、どこにもいない」

 会うなり、ミチルはそう言った。「迷子になったってこと?」大河は聞く。

「わからない。観覧席に座らせて、水を買いに行ってる間にいなくなったの。聞き分けのいい子だから、勝手に離れたりしないはずなのに……」

「GPSは持ってなかったの?」

「スマホを首から下げさせてた。でも、なぜか機能しないの」

「とにかく探そう。矢野さんはこっちの通り。おれは向こう側を探すから」

 音羽は3歳になったばかりだという。それほど遠くまでは行けないはずだ。

 そう思いながら、目を皿のようにして歩いたが、駅前通りの端まで行っても姿はない。引き返してミチルと合流し、2人で首を振り合う。「警察に届けたほうがいいかな」と、ミチルが不安げに言う。

 そのときだった。「ママ!」と声がして、人波の中から音羽が駆けてきた。

「音羽! ああ、よかった! どこに行ってたの」

 ミチルはしゃがんで娘を抱きしめたが、音羽はきょとんとして、母親の慌てぶりが理解できないようだ。「だって、パパがね」と幼い口調で言う。

 音羽の後ろに、白いポロシャツ姿の、がっちりした体形の男性が立っていた。この人がミチルの元ダンナか。10くらい年上で、羽振りのよさそうな感じだ。父親なら、そりゃついて行っちゃうよなあ、と思う。

 

「どうしてこんなことするんですか。面会は、3か月に1度って決めてるじゃないですか」

 ミチルが、強い口調で男性に言った。

「ごめん。偶然見つけて、喉が乾いたっていうから、あっちの店でかき氷食べさせてたんだよ」

「アレルギーがあるの、知ってるでしょう」

「シロップも100パーセント天然果汁だよ。音羽も喜んでた」

「とにかく、もうこんなことはしないでください。スマホの電源まで切るなんてひどい」

「悪かった。ところで、そっちの彼は恋人?」

 急に話を向けられて、大河は「いや、いえいえ、そんなんじゃないです」と手を振った。ミチルも、「違います」ときっぱり言う。

 じゃあ、と去っていく背中を見ながら、大河はその人と前にどこかで会ったような気がした。

 どこで会ったんだろう――ああそうだ、10年前の同窓会で「うるさい」と怒鳴り込んできた男だ。成人式の後で確かにみんなはしゃいでいたけど、ほかの客に迷惑をかけるようなことはなかったはずだ。

 ミチルはなんであんな男と結婚したんだろう。まあ、離婚したそうだけど――。

 駅前通りに目をやると、ゆく夏を送るかのように提灯がきらめいていた。

(7月27日付 日本海新聞 掲載)

 

※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

次回 #04米子サウス は8月5日更新。

 

この機能はプレミアム会員限定です。
クリップした記事でチェック!
あなただけのクリップした記事が作れます。
プレミアム会員に登録する ログインの方はこちら

トップニュース

同じカテゴリーの記事