【沖縄戦】猛爆「鉄の暴風」による壊滅的な破壊

写真で振り返る米軍上陸前後の首里城周辺

  •  米軍上陸翌日の1945年4月2日撮影の首里城周辺。地下壕に旧日本軍司令部があったが、上空からは確認できない。周辺に被害は見られず、拡大すると守礼門(画面中央の丸)や正殿(右下の矢印)が確認できる
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  •  米軍上陸翌日の1945年4月2日撮影の首里城周辺。地下壕に旧日本軍司令部があったが、上空からは確認できない。周辺に被害は見られず、拡大すると守礼門(画面中央)や正殿(右下)が確認できる
  •  米国施政権下の1959年7月30日撮影。再建された守礼門が確認でき、城跡地(右下)に戦後設立された琉球大が写っている。左端は首里高校(旧県立第一中)
  •  終戦後の1945年12月10日撮影。首里城そのものを上空から確認できないほど破壊され、周辺には爆撃の跡が多数見てとれる

 太平洋戦争末期の沖縄戦の戦闘終結前後に、米軍が撮影した数多くの写真が、沖縄県公文書館(同県南風原町)に収蔵されている。このうち、激戦地となった那覇市の首里城周辺の航空写真を時系列で並べると、壊滅的な...

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