日本は外国人捕虜に過酷な生活を強いた。一方で、周辺住民との交流秘話も。父の収容先訪れたオーストラリア男性の思いとは

  •  戦時中、日本軍の捕虜になった父が働いた工場跡付近で、笹本妙子さん(中央)から説明を受けるロバート・ステンフェルトさん(左)=2024年11月、横浜市鶴見区
  •  ロバート・ステンフェルトさん(右)と妻エディスさん=2024年11月、横浜市鶴見区
  •  戦時中、日本軍の捕虜になった父が音色に耳を傾けた越田家のピアノをスマートフォンで撮影するロバート・ステンフェルトさん=2024年11月、横浜市

 太平洋戦争中、海外の戦地で日本軍の捕虜になった連合軍兵士が、国内各地の収容所に送られて工場などで強制的に働かされた。その一つが横浜市鶴見区にあった東芝鶴見工場だ。

 かつてここで働いたオランダ兵の息子...

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