急逝した兄に代わって挑戦、完走―。昨年3月の鳥取マラソンで、記者は、22歳の宮崎麻綾さん=愛媛県=に焦点を当てた。26歳だった兄の祐多さんが大会前に急逝したため、代走。初めてのマラソンは果たして、5時間59分10秒のタイムでゴールに飛び込んだ。「お兄ちゃんの力を借りた」結果だった。あれから1年。
15日朝、父親の仁志さん(55)から記者のスマホにメッセージが届いた。
「お久しぶりです。今日、鳥取へ向けて出発します。今回は、娘と僕がマラソンに参加することにしました。明日は雨の予報ですが、景色、空気を楽しみながら完走めざします!」
麻綾さん、仁志さん、母親の美幸さん(54)、そして、祐多さんの家族4人が今年も鳥取を訪れた。
■雨が涙を洗う
仁志さんも走ることにしたんですね。記者が尋ねると、こう返ってきた。「興味本位だけど、鳥取で走ることに意義がある。祐多のため。祐多と走るというか…」。マラソンの経験は? 「高校生の頃、校内のマラソン大会で走っていた。スポーツは高校まで」。鳥取マラソンに向けて練習しましたか? 「週1回、休みの日に2~3キロ走った。膝の調子が悪く、シューズの中敷きを使用したら、楽になった」。大丈夫ですか? 「最後まで走れたらいい」
麻綾さん、1年ぶりの鳥取マラソンですね。「今でも信じられない。あんなに走れたことが。1年前、マラソンを終わって、また走ってみたいと思った」。昨年は、祐多さんが手を引っ張ってくれような感じがした、と言っていましたね。「お兄ちゃんの力を感じがした。今年は、自分自身の力で走ってみたい」
16日朝、仁志さんと麻綾さんは鳥取砂丘オアシス広場前のスタート地点に立った。「麻綾もいるし、祐多もいる。行けるところまで行く」と仁志さん。麻綾さんも「行けるところまで行きたい」と口をそろえた。
一緒にスタートした2人は6キロを過ぎると、麻綾さんが先を走り始めた。エイドステーションに立ち寄り、仁志さんが追いついた。「ファイト」と声をかけた麻綾さんに、仁志さんは「頑張れ」と応じた。
雨は降り、寒さは増す。身に着けたかっぱは〝ごあ、ごあ〟し、靴下は〝びちょ、びちょ〟。雨が顔に当たって前が見えない。「走るんじゃなかった」と麻綾さんは弱気になりかけたが、やっぱり「走るしかない」と思い直した。自分自身の力で…。「お兄ちゃんのことは考えずに走った。考えたら泣いてしまうので」
初めてのマラソン。走ったり、歩いたりする仁志さんは、風雨に祐多さんを感じていた。背中のゼッケンとかっぱの隙間に風が入り、背を押された気がした。まるで「一緒に走ろうや」と祐多さんが支えてくれているような…。こぼれ出す仁志さんの涙を、雨が洗っていた。「あのおっさん、泣きよる」と思われずに済んだ。
■みんなで砂丘へ
「ナイスラン! その感動サンキュー!」。ゲストランナーのハリー杉山さん(40)がヤマタスポーツパーク陸上競技場前で声援を送る中、麻綾さんはゴールを目指した。6時間を48秒過ぎたが、2年連続の完走だった。仁志さんは完走こそできなかったものの、37キロを走り抜いた。
祐多さんに何て伝えたいですか? 「お兄ちゃんの力を借りなくてもゴールできたよ、と伝えたい」と麻綾さん。仁志さんは「最初で最後のフルマラソンにしたかったけど、それではいけない。もう1回挑戦しないと、祐多に『走れんかったやろ』と言われそうな気がする」と答えた。
再挑戦を誓った仁志さんを前に、美幸さんはこう語った。「37キロも走れると思わなかった。10キロで棄権する、と私は思っていた。祐多への思いが(仁志さんに)あったのだと思う」。そして、こう続けた。「来年は天気が良いといいな。天気の良い鳥取砂丘に行きたい。みんなで見てみたいです」
祐多さんの写真を手に持つ仁志さんの隣で、麻綾さんは完走証を掲げ、美幸さんが寄り添う家族の姿を記念撮影し、記者は来年の再会を約束した。
(深田巧)