倉吉市初のプロボクシングの試合
(鳥取県倉吉市、2017年10月22日)
【概要】倉吉市で初めてプロボクシングの試合が行われた。会場は倉吉未来中心。地元出身でライト級の世界ランカー、西谷和宏(VADY)の凱旋(がいせん)試合だった。西谷は地元ファンの期待に応え、強烈なボディーブローで相手をキャンバスに沈め、2回TKO勝ちを収めた。最大震度6弱を観測し大きな被害が出た鳥取中部地震から1年。西谷の勝利は市民を勇気づけ、復興を後押しした。
ごみ収集運搬で家族支える
年末が押し迫った2015年12月16日。ボクシング日本ライト級タイトルマッチが京都市の島津アリーナ京都で行われた。
登場したのは日本ランク4位で倉吉市出身の西谷和宏=当時(28)=。相手は同級チャンピオンの徳永幸大(ウォズ)。西谷は序盤から左右のフックを繰り出し、ポイントを重ねる。終盤は右ストレートやボディーでダメージを与えた。
しかし、終わってみれば僅差の判定負け。日本王座にあと一歩届かなかった。誤算だったのは2回に左目を負傷したこと。終盤に相手が見えにくくなったが、最終ラウンドも全力で打ち合い、流血しながらも立ち続けた。
この悔しさが西谷の負けん気に火を付けた。私生活では2013年に結婚。長男も誕生した。ジムのある神戸市でごみ収集車の運搬の仕事をしながら家族を支え、日々練習に励んだ。
その西谷にチャンスが訪れる。2017年3月4日、東京・後楽園ホール。日本ランク1位となっていた西谷が、チャンピオンの土屋修平(角海老宝石)に挑むことになった。
西谷は5回にダウンを奪われたものの、途中まで判定は互角。8回、ロープ際に追い詰めて、カウンターで入った右ストレートからボディーブローのコンビネーションでダウンを奪うと、続けて左フックからの連打でキャンバスに沈めた。
鳥取県出身者で13年ぶり2人目の日本王者誕生の瞬間だった。リングには妻と長男が上がり、30歳目前で栄冠を手にした西谷を祝福した。
地元の倉吉市は2016年10月、鳥取中部地震が発生し大きな被害が出ていた。未だブルーシートの掛かった家屋も多かった。試合後のインタビューで西谷は「これまでお世話になった多くの人に恩返しができた。この結果が励みになれば」と被災地である故郷にエールを送った。
西谷は8日、日本王者として倉吉市に凱旋。地震の傷跡が残る市役所で石田耕太郎市長に銀色に輝くベルトを披露した。西谷は「ここからが本当のスタート。世界を追いたい」と世界ランキング入りへの決意を語った。
〝遅咲き〟の最優秀選手
西谷は中学、高校時代は陸上部に所属。高校3年から隣町のボクシングジムで競技を始めた。高校卒業後も鳥取県で4年間アマチュアのリングに立つ。
22歳で神戸市に新設されたVADYボクシングジムに入門。アマチュア時代はアウトボクサーだったが、プロでは通用せず、スパーリングでめった打ちされたことも。ジムの松岡剛志会長代行は「とにかくディフェンスが下手だった」と振り返る。
2009年にプロデビューするが、伸び悩む。戦術、フォームすべての面で改造し、内外と打ち分ける駆け引きも覚え、2012年に日本ランカーに。日本王座への初挑戦はデビューから6年、日本ランカーになって3年余りがたっていた。王者となったのはデビュー以来、22戦目でつかんだ栄光だった。
日本プロボクシング協会は2017年5月、日本王座指名挑戦試合「第38回チャンピオン・カーニバル」の優秀選手を発表し、最優秀選手賞に日本ライト級チャンピオンの西谷=当時(30)=を選んだ。表彰式では「世界チャンピオンに挑戦したい」と明言。〝遅咲き〟のボクサーにいよいよスポットが当たる。
地元のヒーローの誕生に、倉吉市は沸いた。2017年5月、西谷の後援会設立総会と激励会が市内で開かれ、約150人が出席した。後援会長には石田市長が就任した。出席した平井伸治知事が「ふるさと倉吉を挙げて応援し、さらなる大勝利を呼び込みたい」と激励。小学校時代の恩師から花束が贈られた。
後援会の世話人を務めたのが親戚筋にあたるJA鳥取中央の坂根国之組合長。西谷を支えようとする坂根氏の情熱が、地元倉吉での凱旋試合につながっていく。
倉吉未来中心のリングに立つ
2017年6月15日の倉吉市議会本会議。石田市長は一般質問に答える形で、西谷のタイトルマッチを倉吉市に誘致できるよう、後援会を通して働き掛ける考えを表明した。
同8月9日の後援会役員会。10月22日、西谷の凱旋試合を倉吉未来中心大ホールのステージにリングを設けて開催することが報告された。
合わせて、所属するVADYジムが日本タイトルを返上し、世界を目指すことを発表。西谷は世界ランキング12位としてメインでタイの選手と対戦することになった。
3月に日本王者を獲得した西谷は4月、IBF(国際ボクシング連盟)のライト級15位にランクイン。8月には同12位にまで上げていた。
凱旋試合は階級を一つ下げ、スーパーフェザー級のノンタイトル戦(8回戦)に決まった。対戦相手はタイのコンペット・ギャット・ジャントラー。倉吉市でのプロボクシングの試合は初めてのことだった。
8月27日、西谷は凱旋試合の会場となる倉吉未来中心を視察している。地震発生時の破損の様子を聞き、「自分の試合を見て、勇気を与えられたら」と力を込めた。
後援会からは激励金と試合で身に付けるガウンやトランクス、シューズが贈られた。
試合を翌月に控え、日本海新聞中部本社を訪れた西谷は「相手を倒すとしたら左のフックか左アッパー。必ず勝ちたい」と力強くKO宣言した。
2017年10月22日。西谷の凱旋試合「FIGHT TO THE NEXTSTAGE」が倉吉未来中心で行われ、市民やボクシングファンが次々と会場入りした。西谷はIBFライト級世界ランキング9位となっていた。
前日計量、西谷はリミットの58・9キロでクリア。階級を一つ下げたスーパーフェザー級での一戦に、「軽くなった分、体のキレが出て調子は万全」と意気込みを語った。
ゴング後、西谷は試合を優位に進め、2回からはセコンドの指示で左中心の攻め。開始早々にダウンを奪うと、直後に相手の右脇腹への強烈な一撃で試合を決めた。2回1分30秒でのTKO勝ち。大きな拍手と声援が会場を包んだ。
西谷は試合後、「無事に勝ててよかった。ほっとしている」と安堵(あんど)の表情を浮かべ、「東洋でも、ランキング上位でも声を掛けられたら誰とでも試合をしたい。第2章の幕開けです」と高らかに宣言した。
新型コロナでジムも閉鎖
翌2018年7月13日、IBFライト級7位の西谷は神戸市立中央体育館で、フィリピンのレイ・ラモスとノンタイトルのスーパーフェザー級8回戦で対戦し、8回KO勝ちする。
最終ラウンド、左ボディーからフックのコンビネーションで仕留めた。西谷は試合後、「慎重になりすぎて相手のカウンターを捕まえるのが難しかった」と反省をにじませ、「課題を踏まえ、もっと強くなり、世界で戦える体力と技術を付けたい」と語った。
西谷は2019年12月7日の神戸市での試合も、同じくフィリピンの選手に3―0で判定勝ちしている。
しかし、2020年に入ると、新型コロナウイルスの感染拡大がプロボクシング界に暗い影を落とす。興行は6月30日まで中止され、大半のジムが閉鎖された。
西谷は6月に予定していた試合が中止となり、所属ジムは4月中旬から閉鎖となった。この間、神戸市内の自宅での練習とロードワークを計2時間ほどこなし、体調維持に努めた。
西谷は33歳となっていた。ボクサーとしてはベテランだが、実戦ができない。日本海新聞の取材に対し、「時間が足りない。世界ランク入りした30歳からずっと世界王座を狙ってきたのに」と焦りをにじませた。
その西谷に念願の試合が決まった。2020年10月2日、会場はボクシングの聖地の東京・後楽園ホール。世界ランカー対決で、勝てば世界タイトル戦も照準に入る。
「第594回ダイナミックグローブ」のメインイベントのスーパーフェザー級10回戦。IBF世界スーパーフェザー級7位の西谷は、同3位の尾川堅一(帝拳)と対戦することになった。
久しぶりの試合に後援会も盛り上がる。石田市長は「地震からの復興への力強い後押しをしてもらった。今度はわれわれが恩返しする番」、坂根氏は「世界への試練となるが、ふるさとから熱い声援があることを胸に勝利してほしい」とエールを送った。
西谷は本紙インタビューで、格上の相手との試合へ向けての意気込みを語っている。
「尾川選手は間違いなく、今まで戦ってきた人の中で一番強いと思う。序盤から相手を下がらせ、後半相手が右ストレートを打ってきたところに、左フックのカウンターを合わせて倒したい」
後援会役員も重要な一戦となることは分かっていた。当日は大田英二氏(チュウブ会長)らがリングサイドで応援し、他の役員は地元で朗報を待った。恩師は仏壇に教え子の勝利を祈った。
西谷は序盤から積極的に攻め、3回にダウンを奪う。しかし、4回にダウンを奪い返される打ち合いとなった。遠ざかるように足を使う相手を追って最後まで手を出し続けたが及ばす、0―3の判定で敗れた。
試合から一夜明けた3日、日本海新聞の取材に応じた西谷は「3回にラッシュを掛けるべきだった。完璧な状態で臨んだので、結果が出なかったことが悔しい」と話した。去就については「すぐには決められない。体力面で問題はなく、ボクシングはできている。あとはチャンスが巡ってくるかどうかだ」とした。
帰倉後、日本海新聞中部本社を訪れた西谷。現役続行は来月更新される世界ランキングを踏まえて判断する考えを示した。
尾川は2021年11月、米国ニューヨークで行われたIBF世界スーパーフェザー級王座決定戦に勝利し、世界チャンピオンになっている。
現役引退も一片の悔いなし
2021年12月2日。西谷は再び後楽園ホールのリングに立った。ボクシングの60・5キロ契約ノンタイトル8回戦。1年2カ月ぶりの試合だ。相手は前東洋太平洋スーパーフェザー級王者の三代大訓(ワタナベ)。三代は松江市の出身で、西谷の再起戦は「山陰対決」となった。
同じ「ボクサーファイター」。西谷は序盤から左ジャブや左右のボディーで突破口を探ったが崩せず、逆にボディーブローを浴び、ガードが下がったところを被弾した。無念の6回TKO負け。西谷の戦績は21勝(12KO)6敗1分けとなった。
西谷は同月10日、後援会長の石田市長に「試合には負けたが、誇りを持って試合に臨めた」と報告。石田市長は「力を出し切った結果。偉大な選手に代わりはなく、胸を張ってほしい」とねぎらった。
2022年3月18日。西谷はふるさとの倉吉市で現役引退を表明した。12年間のプロ生活にピリオドを打つ。西谷は「地元の励ましが大きな力だった。世界を断念したことは申し訳ないが、自分の力は出し切った」と述べ、「わがボクシング人生に一片の悔いなし」とこぶしを握り、地元に感謝した。
西谷は引退後も神戸市を生活拠点とし、若手のサポートなどでボクシングに関わっている。
※肩書は当時。後楽園ホールなど県外での写真は共同通信社から特別に配信を受けたものです。
〝地元愛〟は人一倍
西谷は出身地の倉吉市と応援してくれる市民に常に感謝してきた。2016年10月の鳥取中部地震とその後の復興では、自身が勝つことが地元の皆さんの元気につながることを胸に試合に臨んだ。
プロとして地元との触れ合いも大切にした。日本ライト級王者の西谷は2017年3月、6歳まで通った上北条保育園を訪れ、チャンピオンベルトを園児らに見せて交流した。
園児も初めて見るベルトに興味津々。西谷は「日本一強い男になって帰ってきた。今は何事も楽しんで夢を見つけて」と呼び掛けた。
2019年10月には母校の上北条小学校の開校30周年記念事業に出席している。記念トークでは「目標への強い気持ち、助け合う心、感謝の思いの大切さ」を後輩に伝えた。
この日は児童代表とのスパーリングも披露。体験した男子児童は「西谷さんのように目標を見つけ、あきらめない人になりたい」と目を輝かせた。
2017年12月には湯梨浜町はわい温泉であった「地産地唱紅白歌合戦」の審査員を務めている。出演歌手がアリスの「チャンピオン」を歌い、エールを送られる場面も。
後援会も2017年10月の凱旋試合に倉吉総産、倉吉北、倉吉農の市内3高校から80人を招待。生徒らは倉吉市初のプロボクシングの試合を観戦した。
(文中・敬称略)