「戦争っていうのは人の気持ちを180度変える。平和の時に考えていることと全然違う」-。幅田義規さん(96)は、開拓を夢見て渡った満州で終戦を迎えると、ソ連軍の捕虜として空腹にあえぎながら過酷な労働に従事した。
1942年5月、15歳で満蒙開拓青少年義勇軍を志願し満州へ。北安省の鉄驪(てつれい)義勇隊訓練所で農作業をしながら軍事訓練を受け、44年11月には牡丹江省へと移った。
同省は北方の物資を南方へ輸送する際の中継地点で、小高い丘に300近くの倉庫が立ち並んでいた。最寄り駅から物資を運ぶ捕虜や現地民の働きぶりを鉄砲を手に監視するのが幅田さんの役割。「当時は国のため、日本のためだと当たり前だと思ってやっていた」。人に銃口を向けることに抵抗はなかった。