うれしい知らせがあった。今年1月1日の能登半島地震(最大震度7)で大きな被害が出た石川県の遊学館高校(金沢市)が、10月13日に倉吉市などで開催される「日本海駅伝(男子)」「くらよし女子駅伝」にそれぞれ出場することになった。
地震の発生を受け、本紙は運営する学校法人金城学園(加藤真一理事長)に状況を聞いた。同校は両駅伝の常連校で、創始者の加藤広吉氏=旧姓・小原(おばら)、1906年没=は倉吉市の出身。
学校は金沢市内だが、能登からも生徒が通っている。校舎などに大きな被害はなかったが、自宅の裏山が崩れた生徒もいたという。
鳥取県中部の加藤氏の遠縁も発生直後に連絡を入れるなど、心配していた。縁者は毎年駅伝の当日、沿道で遊学館高校の選手を応援している。
今年は出場できるのだろうか―。その思いを抱えながら、本紙は遊学館高校と倉吉市、駅伝との関係を紹介するアーカイブ記事を1月23日に配信した。
通常は全文が読めるのは本紙ネット会員のみだが、被災地の方にも読んでもらおうと、「鍵」を外してオープンにした。この記事は多くの閲覧があった。
学園からは日本海新聞中部本社(倉吉市)に第3代理事長、加藤晃氏の著書の寄贈を受けた。
石川県では復旧・復興への取り組みが続いている。住宅などへの被害で、日常生活を取り戻せていない被災者も多い。
倉吉市も2016年10月21日、最大震度6弱の鳥取中部地震に見舞われた。多くの協力で翌年も両駅伝を開催でき、遊学館高校の選手が来倉。力強い走りで元気を届けてくれた。
駅伝がつなぐ金沢と倉吉の「縁」は切れることはない。
※加藤広吉氏がどのような人物だったのかは、文末のアーカイブ記事(青色)をクリックすれば見ることができます。
遊学館高校(石川県)が日本海駅伝・くらよし女子駅伝に出場へ
(鳥取県倉吉市・湯梨浜町・三朝町、大会2024年10月13日)
【概要】石川県金沢市の遊学館高校(嶋田司校長)が今秋も、日本海駅伝・くらよし女子駅伝に出場することになった。駅伝競走部は能登半島地震発生後も黙々と練習を続け、力を付けてきた。両駅伝は、今シーズン初の駅伝レースとなる。震災を乗り越えた選手らは、沿道の声援を受け、学園の創始者・加藤広吉のふるさと倉吉を力強く駆ける。
「我武者羅」な走り
駅伝の参加申し込みの締め切りが迫る中、事務局の日本海新聞中部本社に遊学館高校からくらよし女子、続いて日本海駅伝のメンバー表が届いた。
7区間計42・195キロの日本海駅伝には、12人の名前が並ぶ。個人参考記録でひときわ目を引くのが2年生のジョセフ・ギタエさん。5千メートルを13分43秒で走る。
監督コメントを見ると、「精いっぱいたすきをつないで走りたい」と、全国の強豪校が出場する日本海駅伝に臨む抱負があった。
5区間計21・0975キロでたすきをつなぐくらよし女子駅伝のメンバー表には10人の名前が。3千メートルを10分台前半で走る選手が4人含まれる。
「この倉吉の地でチームテーマである『我武者羅(がむしゃら)』な走りをしたい」。監督コメントに決意が伝わってくる。
学園は縁戚の誇り
今年1月1日、マグニチュード(M)7・6、最大震度7の能登半島地震が発生した。
まさか正月に―。鳥取県中部の加藤広吉の縁戚は、テレビのニュースを食い入るように見ていた。北栄町議の阪本和俊さん(80)もその一人。母のスマが広吉の伯母のひ孫に当たる。
北栄町も2016年の鳥取中部地震で大きな被害が出ており、人ごとではなかった。
金城学園の創始者、加藤広吉は1866(慶応2)年、倉吉市中河原に生まれる。軍人から教育者の道に進み、28歳の時、せむと結婚。2人で金沢市内に私塾・金城遊学館を開校したのが学園の始まりだ。
しかし、広吉は41歳の若さで亡くなる。せむは夫の遺志を継ぎ、女子教育一筋に情熱を注ぐ。現在、金城学園は遊学館高校のほか、大学や短期大学部を持つ金沢の名門私学となっている。
広吉の縁戚にとって、学園は誇りであり、遊学館高校野球部が甲子園出場した際は熱いエールを送った。
また、両駅伝で倉吉市を訪れた選手らの激励会を開き、沿道で声援を送るなど、生徒たちを自分の孫のように思っている。
8月31日、遊学館高校が両駅伝に出場することを聞いた阪本さんは「本当によかった。広吉さんもあの世で喜んでいるだろう。震災で落ち着かない日々が続いたと思うが、倉吉の地でこれまでの練習の成果を発揮してほしい」と願う。
1本のたすきをつなぐ
石川県は11月4日に全国高校駅伝の県予選があり、同校は日本海駅伝・くらよし女子駅伝をそれに向けての〝試金石〟ととらえる。
嶋田校長は「夏合宿の成果と同時に、県予選に向けて選手の実力を見たい。レースの雰囲気を味わうことも大切」と話す。
女子は昨年のメンバーがそのまま残っている。永井秀篤監督は「小所帯だが、気持ちは一つ。県予選へ向けて、いいパフォーマンスができれば」と意気込む。
一方、男子の森賀康裕監督は「昨年、メンバーに入っていない2年生が力を付けている。本番で力を発揮してくれたら」と期待を込める。
地震後の3月27日、金城学園の加藤晃学園長が逝去した。89歳だった。学園長も生前、倉吉を訪れて、縁戚と親交を温めていた。
震災を乗り越え、全国の強豪校と共に、都大路の〝前哨戦〟に臨む選手たち。創始者のふるさとで1本のたすきをつなぎ、石川県に元気を届ける。
※この記事は〈続報〉です。加藤広吉氏の写真は『金城学園創立100周年記念誌―遊学の大地から』(2005年発行)から。遊学館高校の概要等は下のアーカイブにあります。
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倉吉西が単独チームで出場(女子)
くらよし女子駅伝には、地元の倉吉西高が単独チームで出場することが決まった。昨年は他校との合同チームだった。チームワークでたすきをつなぐ。
登録した9人は全員陸上部員。「よく走る選手が5人いる。当日はいいレースをしたい」と岡本亘監督。
このうち、2年生の風炉田(ふろた)夏希さんは3千メートル10分05秒の記録を持ち、今年1月の都道府県対抗女子駅伝の鳥取県チームの6区を走った。
その後、けがもあったが順調に回復し、トレーニングを再開。岡本監督は「復帰戦」と位置付ける。
大会当日は、家族や祖母の吉川美紀子さんらが沿道から熱い声援を送る。
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※この記事は一般のネットオリジナル記事です。
◆第44回日本海駅伝競走大会
鳥取陸上競技協会と新日本海新聞社が主催。全国の高校男子駅伝チームを対象に1981年にスタートした。倉吉市営陸上競技場を発着点に、倉吉市、湯梨浜町、三朝町の1市2町、7区間計42・195キロで覇を競う。昨年は94チームが出場。全国高校駅伝の〝前哨戦〟といわれる。
◆南部忠平杯第39回くらよし女子駅伝競走大会
倉吉市、鳥取陸上競技協会、新日本海新聞社が主催。南部忠平氏は1932年ロス五輪陸上男子三段跳びの金メダリスト。倉吉市の鳥取女子短大(現鳥取短大)の学長を務めた。全国の高校女子駅伝チームが出場。2003年から男子の日本海駅伝と同日開催されている。倉吉市営陸上競技場を発着点に、5区間計21・0975キロで競う。昨年は53チームが出場した。
今年は10月13日(日)に開催
■2024年「日本海駅伝・くらよし女子駅伝」
10月13日(日)に開催。くらよし女子は午前10時、日本海は午後2時に倉吉市営陸上競技場をスタートする。レースの順位速報は日本海新聞ホームページで随時更新するほか、翌日の本紙に詳報を掲載する。
地方紙とアーカイブ
「アーカイブ」という言葉を聞くようになって久しい。NHKの番組で広く認知されたように思う。やはり歴史的な映像は強いインパクトがある。
「アーカイブス」「アーカイブズ」と表記した文章も見る。その訳もさまざまだが、「記録資料」というのが一般的か。
「紙」の新聞の場合のアーカイブは、過去の紙面であり、写真であろう。弊社中部本社に印画紙の写真が保存されている。「人物伝」の連載のものか。当時はモノクロフィルムの時代。一枚一枚丁寧に印画紙に焼き付けていた。
見ると、写真の人物の多くがお亡くなりになっている。しかし、その人が成したことや、よく言っておられたことが頭に浮かぶ。不思議なものだ。
古い写真は新聞社の宝物である。記者が取材し、現場をカメラに収める。デジカメになってからは鮮明だ。新システムの導入で、紙面もきれいに保存できるようになった。
このアーカイブ企画がスタートし、2年目に入った。ネット(本紙ホームページ)のみで読むことができる。「紙」には載らない。新たな取り組みだが、徐々に反応を頂くようになった。
それだけ、パソコンやスマートフォンで「記事」を読む人が多くなったということか。情報を得る手段も多様化している。
読者である知人らと話していて感じるのは、「あったこと」だけではなく、「どうしてそうなったのか」を知りたいという欲求である。
例えば、ネットで検索すると、「○年、□町と△町が合併し、新町が誕生」と出てくる。便利で、ありがたいことだ。
ただ、「あったこと」はその地で生活する年配者なら大概は知っている。「なぜ□町と△町が合併するに至ったのか」、その背景を深く知りたいのだ。
そこに、地方紙のアーカイブの生きる道があるように思う。それは記者が何度も足を運び話を聞く、その繰り返しによって書ける内容だからだ。
事実関係が正確なのはもちろんだが、読者の「もっと知りたい」に応える。それこそが、地域に密着した新聞社が配信するアーカイブであろう。
対象が幅広いのも、新聞が持つ特性である。出来事も行政関係よりも、住民のまちづくり活動や伝統行事、「人」にスポットを当てた記事がよく読まれているように思う。地に足をつけた取材こそがベースとなる。
過去の紙面を見ていると、〝味わい〟のようなものを感じる。記者の個性というか、しっかり書いている。盛り上がりのことを「フィーバーぶり」と、今では使わない表現もあって面白い。
このネット記事は「分かりやすく」を心掛けている。そのため、ストーリー性を持たせ、内容によってはサイド記事やメモで補足する。「あの日 あの時」のタイトル通り、記録性(年月日)も重視し、ボリュームがある。
ネットの特性で行数に制約はなく、必要な写真を何枚でも使える。その点では、満足度は高いように思う。
掲載内容を決め、過去紙面を引っ張り出し、連続して読み構成を考える。この作業で実感するのは、紙の新聞の素晴らしさだ。行間からにじむ記者の思い、何を伝えたいのかが分かる。価値判断に基づく、見出しの大きさとレイアウト。まさに、先輩が残した財産である。
これら新聞社の資源を生かしたアーカイブは、「デジタルコンテンツ」としての可能性を秘め、〝次の展開〟につながる。地域に貢献する「ライブラリー」も考えられよう。そのためにも〝引き出し〟を増やしたい。
アーカイブは、今につながっている。エポックとなった出来事がある。そのことは何を意味し、実現へ先人がどう動いたのか。今の姿に地域の歩みを見る。
その中で、地方紙は読者に何を伝えたのか―。アーカイブは地域を再発見する試みであり、その価値は大きい。
※企画への問い合わせは電話0857(21)2878、デジタル戦略部。