【戦後80年】元捕虜の父思い「感無量」

豪男性、横浜の収容所跡で 住民と交流秘話も

  •  戦時中、日本軍の捕虜になった父が働いた工場跡付近で、笹本妙子さん(中央)から説明を受けるロバート・ステンフェルトさん(左)=11月上旬、横浜市鶴見区
  •  ロバート・ステンフェルトさん(右)と妻エディスさん=11月上旬、横浜市鶴見区
  •  戦時中、日本軍の捕虜になった父が音色に耳を傾けた越田家のピアノをスマートフォンで撮影するロバート・ステンフェルトさん=11月上旬、横浜市
  •  生前の越田容子さん
  •  鶴見線・海芝浦駅

 太平洋戦争中に日本軍の捕虜になった連合軍兵士が、国内各地の収容所に送られ工場などで強制的に働かされた。その一つが横浜市鶴見区にあった東芝鶴見工場。ここで働いたオランダ兵の息子(オーストラリア在住)が...

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