名鉄瀬戸線の歴史を訪ねて

  •  瀬戸線をかつて走った“せとでん”モ754型電車=瀬戸蔵ミュージアムにて
  •  木製部品が多く使われたモ754型電車内=瀬戸蔵ミュージアムにて
  •  復元された旧尾張瀬戸駅=瀬戸蔵ミュージアムにて
  •  旧尾張瀬戸駅の改札口とモ754型電車=瀬戸蔵ミュージアムにて
  •  瀬戸線600ボルト時代に使われた行き先表示板=瀬戸蔵ミュージアムにて

 1月下旬、東京から新幹線に乗り、名鉄瀬戸線の終点、尾張瀬戸を訪れた。名古屋市の大学での講演会に参加するため出かけたのだが、急きょ講演会が中止となり、することがなくなってしまったので、久しぶりに瀬戸に行くことを思い立ったのだ。

 瀬戸線にはさまざまな思い出がある。共同通信に入った1989(平成元)年、名古屋支社に配属され会社から紹介されたのが、当時瀬戸線の喜多山駅(同市守山区)から徒歩で10分ほどにあった社員寮で、喜多山から瀬戸線で通勤していた。さらに、名古屋の経済部では窯業(陶磁器やファインセラミックス業界)を担当していたので、瀬戸市や岐阜県瑞浪市などの陶磁器メーカーに通って、業界のさまざまな話題を記事にしていた。

 さて、名古屋到着後は在来線ホームで名物のきしめんを食べ、中央線を大曽根で瀬戸線に乗り換え、30分ほどで終点の尾張瀬戸に到着。駅から徒歩で5分ほどにある、「瀬戸蔵ミュージアム」をまず訪れた。2階に上がると目に入るのが、かつて瀬戸線を走っていた旧型電車「名鉄モ754型」だ。

 ミュージアムの資料によれば、瀬戸線は1905(明治38)年開業、1907年には電化され「せとでん」の愛称...

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