江戸科学研究者の澤田平さん=大阪市東成区=は、陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明の子孫、土御門泰邦(つちみかどやすくに)(1711~84年)が開発したと伝わる時計を晴明ゆかりの阿倍王子神社(同市阿倍野区、長谷川裕高宮司)へ奉納した。
太陰太陽暦の「宝暦暦(ほうりゃくれき)」を手がけたことで知られる土御門泰邦は、和時計を改良した正確な天文観測用時計「授時簡(じゅじかん)」も開発した。
1日を百等分する「百刻目盛」や不定時法・定時法の目盛も備えたメカニズムを記した史料だけが長らく伝わり、実物の存在は長年確認されていなかった。平成に入り、澤田さんがたまたま外部の業者から修理依頼を受けた和時計が授時簡と判明し、交渉の末、入手に至った。
運よくパーツの欠品はなく、澤田さんは動作良好の状態で収蔵。過去には同神社で展示を兼ねた講演会も実施してきたが「ゆかりのある場所で永遠に保存されるべきだ」と奉納の意向を伝え、このほど届けられた。
末社である安倍晴明神社の宮司も兼務する長谷川宮司は「本当に貴重なもので大変ありがたい。晴明公ゆかりの社宝として代々受け継いでいきたい」と話した。澤田さんは操作法を解説しながら「授時簡はこの神社に納まる運命にあったと思う。安住の地でいつまでも動き続けてほしい」と願いを込めた。授時簡は社宝につき非公開。