母が亡くなった。産婆が「この子は育ちませんよ」とさじを投げるほど弱々しかった母は、長じて姉妹が病を得る中、病気らしい病気もせず老衰で旅立った。
最近は家族葬が多く迷った。だが、母は家族のためだけに生きた人間ではなく、多くの人と時間を共有する人生を送った。だから、通夜と告別式は誰でも参列できる形にした。それを葬儀前にSNSで書くのも迷ったが、結果的にはよかった。連絡を忘れていた人たちが参列したり弔電をくれたりしたのだ。
高齢のために参列が難しい人々が遠くから祈ってくれる一方で、久しぶりに直接会える人もいて、にぎやかに見送れたと思う。明るく社交的な母にふさわしい旅立ちだった。
その後、多くの人たちがお悔やみの言葉と共に私の心身を気遣ってくれている。中には、本コラムやSNSで書いた文章で母に親しみを感じていた、と話す人もいた。
母との別れへの思いはまだまとめきれない。だが、「長い時間をかけて母にゆっくりと別れを告げられた」というのが今の実感である。母は2年前に「ついのすみか」となった高齢者施設に入った。コロナ禍では病院や施設にいる老親と会えないという話を何度も聞いたが、この施設ではごく短期間を除きずっと面会を許可された。認知症の上に話すことができなくなった母であっても、最期まで弟や私を認識して笑顔を見せた思い出を残してくれたこの施設のスタッフには、一生感謝し続けたい。
12年前に父を失った後の手続きは元気だった母にほぼ全て任せた。だが、今回は周囲に相談しつつも弟と私でこなさなければならない。ニュースで時折、親が自宅で死去しても放置し親の年金も受け取り続けた子どもが逮捕される、という話を見聞きする。これまでは「なんとひどい」としか思ったことがなかったが、親の死去に伴って直面する「非日常」と手続きの煩雑さに実際に圧倒されてみて、「彼ら」の気持ちが少し分かるような気がしたのは新たな発見だった。何事も当事者にしかみえない何かがあるのだろう。
私は「文字の人間」であり、書くことによって気持ちの整理がつくことが多いため、これからも母のことは書くだろう。また、私の介護体験を知って自分自身の似た経験を共有してくれる友人たちもいたが、彼らとはこれからも話すだろう。それを通じて、母との別れの過程を少しずつ私は進んでいくのだ。
(近畿大学総合社会学部教授)