福井の農家に毎年注文している梅が今年も届いた。今年は5キログラム。梅干しと梅シロップを1キログラムずつ、残りを甘煮にした。
甘煮は先月死去した母が近所の人から約40年前に教わったものだが、母が作る甘くてトロトロした梅を長い間食べ続けた私にとって、すっかり「母の味」となった。
母の味と言えば、幼い頃から少しぜいたくをする日に作ってくれたビーフシチューもある。唐揚げも大好きで、食べ物の取り合いがめったになかったわが家で、これだけは弟と争うように食べた。どちらも外食でも食べられる普通のメニューだが、味付けが微妙に違う。12年前に亡くなった父が夏になると日曜の昼食に作ってくれた冷やし中華のタレは酸味がきいておいしかった。
それらは両親からレシピを聞いておいたので、2人が亡くなった後も懐かしい味を再現できている。だが、年越しそばのつけ汁とお雑煮については、危うく記憶の中のみの味となるところだった。父が亡くなり母が認知症で料理ができなくなり、コロナ禍で大勢の親戚が集まることもできなくなった2020年の暮れ。誰かが作ってくれることを毎年あてにしていた私は、大みそかにはたと困った。だが、母の姉にあたる私の伯母に電話してレシピをもらって事なきを得た。
自分の世代へと引き継がれてきたのは、食べ物の味だけではない。
コロナ禍のために延期していた祖父の27回忌と父の13回忌を、5月に行った。以前法事を行う時には、母が伯母と相談しながら全てを進めていた。だが、母はその時高齢者施設でお世話になっていたため、出席すらかなわない。用意すべきお金やお供えの果物・菓子・花、会食の場所やメニュー、参列者へのお土産など、さまざまな事柄をひとつずつ私と弟が伯母に相談しながら進めた。
参列者は十数名だったが、それでも無事にその法事を終えてほっとしたのもつかのま、母が亡くなった。今は母の四十九日法要の準備であわただしい。ただ、それほどパニック状態に陥っていないのは、5月に「予行演習」を終えていたからかも知れない。まるで母がそれを待ってくれていたかのようにも感じる。
私には子どもがいない。上の世代から受け継いだ味や家族の伝統を引き継ぐ人は、家族の中にはいない。でも、少し視野を広げて、私の持つ「何か」を受け取って引き継いでくれる誰かに期待するのも悪くない。さて私は何を伝えられるのだろうか。
(近畿大学総合社会学部教授)