「先生、この行事は絶対に出ないとダメですか?」と、入学直後の大学生によく尋ねられる。
授業関連の行事なら、欠席で減点になったり単位を落とすこともある。だが、大学には任意参加の行事も多い。大学生活で直面する可能性がある問題、就職活動関連、趣味関係など多岐にわたる。教員から見れば「視野が広がり、トラブルを事前に回避できて、いい出会いがありそう」と感じるものが多い。
だが、食わず嫌いの学生が多い上に、一定の時間を拘束されることを嫌がる。「義務」ではないと知ると欠席を決め込む。そんな学生を多く見た私は、「入学までは必死でも今はサボってばかり」と嘆いていた。
だが、毎年そんな新入生に接するうちに、それまで受けた教育の影響が大きいのではないかと考え始めた。小中高では「先生が言ったことを他の子と同じようにやる」ことを求められる。だから、大学に入って「ご自由に」と言われた途端、「先生がやれと言わないならやらない」と考える学生が多いのではないか。
そう書くと、「いや、自主性を育てるよう務めている」というお叱りの声が飛んできそうだ。だが、髪形、スカートの丈から、下校後にどこで何をするかなど、さまざまな行動を「すべきこと」「すべきでないこと」に区分けしている様子が、私が接する学生たちが小中高の思い出を語る時にうかがえるのだ。
その結果、「考えること」すら他人に預け、いわば「脳みその外付け状態」に陥ってしまっている。
これが「後遺症」となって現れるのが、就職活動の時だ。大学入試までは先生に言われるままに行動していればなんとかなるが、人生でほぼ初めて自分で全てを決めなければならなくなる瞬間である。「エントリーシートは何社に送ればいいですか」といった問いを聞くと、後遺症を実感する。
小中高教育の変革も必要だろうが、簡単には変わらない。ならば私ができることから始めなければ。まずは、来年入学する学生に冒頭のような言葉を投げかけられたら、「この行事の参加は義務じゃないよ。今までは先生から言われるままにしていればよかっただろうけど、これからは自分がしたいか、したくないか、すべきか、すべきでないか、自分の頭で考える習慣を持ってみようよ」と話しかけたい。脳みそは外付けにせず内蔵した大人になっておくべきだと考えるからだ。
(近畿大学総合社会学部教授)