淀まず続ける 大阪の現場から(上) 詩人運営NPO「ココルーム」

学び合いたい人がいる

地域ニュース、主要

 詩人が運営するアートNPO「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」、クリエーターのネットワーク拠点「クリエイティブネットワークセンター大阪 メビック」、地域に密着しながら全国的問題にも切り込む「新聞うずみ火」、大阪で困っている人、羽ばたこうとする人に寄り添い続ける3団体を紹介する。

 入り口付近に並べられたTシャツ、ネクタイ、帽子にジャンパーは売り物だ。入って左側はカフェ。からくり人形が飾られた通路を進むと右側にキッチン、左側には畳敷きの小上がりで、集まった人たちでにぎやかに食べるまかないご飯が好評だ。緑の多い庭には手作りの井戸がある。NPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」が運営する「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」(大阪市西成区)は雑多なのにやすらぐ不思議な空間だ。

場の力

 店にはさまざまな人が訪れて代表の上田假奈代さんに話しかける。缶飲料をプレゼントする釜のおっちゃん、家族に連れられてきたコミュニケーションが苦手という男性、常連客も初めての人も上田さんと笑い合って満足そうだ。中には上田さんが深く関わる人も出てくる。

 庭の井戸作りで活躍した50代の男性は、10代で家を出て150ぐらいの仕事を点々とし、野宿人になったという。上田さんの協力で音信不通だった家族を探し、上田さんの出張に合わせて会いに行った。その年の書き初めには「家族」と書いた。その後、失踪したが戻って今もときおり顔を出す。

 アルコール依存症だった60代の男性は「絵が面白い」(上田さん)。シンプルな線で描く建築物など2年間で約400枚の絵を描き、堺市内のギャラリーで展示会を開催。新たな展示会の準備中に亡くなったが、絵を描くことに喜びを感じていたという。

 上田さんの活動は、安心してもらえる場所で耳を澄まして話を聴き、発見した課題や希望に対し、それぞれに合う形で寄り添って進むということのようだ。

釜芸

 浪速区にココルームを立ち上げたのが2003年で、日雇い労働者の街として知られた西成区の通称・釜ケ崎に引っ越したのが08年。労働者の街は高齢化で福祉の街へと変貌し、研究者や学生、外国人観光客も集まり、新たな顔を見せている。

 激しく変化する街で、ココルームが力を入れている活動に「釜ヶ崎芸術大学」(釜芸)がある。「学び合いたい人がいれば、そこが大学」として12年に釜ケ崎で始動。地域のさまざまな施設を会場に、天文学、合唱、俳句など、年間80~100の講座を開講。当初は月1回だった講座を「来月、生きとるか死んどるのか、わからんのや」というおっちゃんの言葉で増やした。14年には「ヨコハマトリエンナーレ」、16年には「さいたま国際芸術祭」に参加。釜のおっちゃんたちが特技を生かして講座の先生になった事例もある。

記者の手帳 一人一人の物語を伝承

 支援する人と支援される人、教える人と教えられる人が入れ替わる。「循環」することで場がよどまない。ココルームの活動ではよく起こり、上田さん自身も「弱さの力」として、訪れる人にできることを手伝ってもらっている。安心してもらえる「場の力」で、一人一人の物語を聴き、次の世代へ伝える。物語から作品が生まれることもある。「アートにできることは何か」。上田さんの挑戦は続く。

同じカテゴリーの記事