【歴史の小窓(13)】幕府の甘さが討幕運動の活力源に

将軍夫人の実家である薩摩の密貿易

  •  復元された江戸時代の日本海海運の主役「北前船」の勇姿=2012年6月、青森県・陸奥湾
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 25年ほど前、鹿児島県の坊津(南さつま市)に行ったときに、密貿易屋敷を見学した。江戸時代の豪商の屋敷で、外見は普通だが、中2階だったかに隠し部屋があり、忍者屋敷ともいうらしい。そのときは密貿易といっても薩摩から琉球(沖縄県)に行ったり、薩摩沖で中国(清)の船と闇取引をしたりする程度と思ったのだが、十年後、新潟支局に赴任して、薩摩船が新潟までやってきて密貿易をしていた事件(唐物抜荷事件)があったことを知り、こんなにダイナミックに活動していたのかと驚いた。

 事件は天保6(1835)年10月ごろ、新潟市の北東約30キロにある村松浜(新潟県胎内市)で起きた。当時長岡藩(長岡市)領だった新潟の湊に入る予定の薩摩船が難破、積み荷は幕府が長崎以外での取引を厳しく取り締まっていた中国の漢方薬の原料(薬種)や織物、べっ甲だったので、船頭らは荷物を浜辺の小屋に隠した上で代官所に届けた。普通の海難事故で処理されたが、やがて小屋の荷物を少しずつ持ち出して売りさばいたのだろうか、新潟の町でうわさとなり、代官所が再び調べに乗りだして密輸が明るみに出た。

 当時はいわゆる「鎖国」で、海外との取引は厳しく制限され、長...

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