久松山の麓、山の手通りには鳥取藩池田家ゆかりの寺院が並び、藩政時代から明治期にかけての数多くの剣豪・剣士の墓がある。鳥取市出身の自由律俳人、尾崎放哉ゆかりの地でもある。池田家や剣豪たちをしのんで山の手通りをぶらり歩いた。
鳥取県庁の裏から東へ栗渓神社に向けて歩くと、左手に興禅寺の山門が見えてきた。周辺は国の天然記念物キマダラルリツバメの生息地。鳥取まちなかガイドの会の松尾健雄さん(69)の案内で広い境内に入ると、1930年建立の放哉の句碑が目に留まった。自然石に「はるの山のうしろからけむりが出だした」と放哉最後の句が刻まれていた。興禅寺には尾崎家実家の墓があり、小豆島から放哉の遺骨が分骨されている。