「初めて命の危険を感じた」。サッカーJ3のガイナーレ鳥取の選手として活躍する丸山壮大さん(24)は最大震度7を観測した能登半島地震の発生当時、新潟県の実家に帰省中だった。家族と一時避難するなど地震と津波の恐ろしさを実感。「サッカーで古里を元気づけたい」と、いまだに過酷な状況が続いている被災地に思いを寄せる。
元日の昼下がり、丸山さんは新潟市の実家でサッカー日本代表戦をテレビ観戦していた。試合後の森保監督のインタビュー途中、少し横揺れを感じた。「地震だ」。そう思った次の瞬間、さらに大きな揺れに襲われ、倒れそうなタンスを必死に押さえた。
つけっぱなしにしていたテレビが突然切り替わり、「津波が来るから逃げて」と声を絞り出すように連呼していた。家から海までは車で5分ほどしか離れていない。急いで家族と車に乗り、近くの高台に避難した。
避難していた約5時間の間で印象的だったのが、自動販売機にできた長蛇の列。多くの人が災害に備えるべく動いていた。「たくさんの人が飲み物を確保しようと並んでいて、初めて見る光景だった」と非常事態を痛感した。
翌日の朝には津波警報が注意報になったが、余震は続いており、安心できる状況ではなかった。再度地震が来たら逃げられるよう準備していたため、数日間は緊張状態が続き、寝た気がしなかった。
新潟市は震度5を観測。幸い、実家や避難するまでの道路は無事だったが、22日現在、22人の人的被害、3773軒の住宅被害が確認されている。同じ中学校区の中には家が傾いた人もいた。見慣れた郵便局の駐車場が液状化で悲惨な状態になっているのを目の当たりにし、「驚きと恐怖があった」と振り返る。
チームメイトからも心配する連絡がたくさん届いた。「みんなが気にかけてくれてうれしかった」。動画や写真を送り、現地の状況を伝えた。地震を経験していない人にも当事者意識を持ってもらえるよう「地震や現地の状況を発信していきたい」と話す。
いつまた地震や津波が来るかわからない恐怖の中で生活している人は現在も多い。「サッカーで元気を与えることがJリーガーの自分にできる一番のこと」。被災を経験した24歳は、サッカーができることへの感謝を胸に、新シーズンを迎える。