釣れ釣れ草 ブラックバスの歴史

 ブラックバスは、北米がお里だ。その日本におけるドラマの始まりは、かくのごとし。

 1931(昭和6)年、というから90年も昔に赤星鉄馬氏が養殖を事業化しようとしてアメリカから持ち込んだ。当時の日米間の飛行時間は、かなりの時間を要したであろうし、相当苦労して持ち帰ったらしいことは容易に想像がつく。その事業化の道も、当時の学者たちが唱える生態系の劇的変化説に押されて頓挫。そこで、芦ノ湖に持って行き、隠れるように放したことが日本におけるブラックバスの歴史の始まりになった。

▽彼女に見せたかった

 WEBなどでブラックバスの飼育法などがアップされているが、じつは法律により飼育及び生きたままの運搬、輸入、野外に放つことが原則禁止になっていることはあまり知られていない。この法を犯すと、懲役3年以下もしくは300万円以下の罰金が科せられるらしい。とはいえ「行動を観察して釣果の向上につなげたいから…」と飼育すると、刑事が逮捕状を持って訪れる…なんてことはない。と、思い込んでいた。

 あったのです。飼育ではないが、生きたままの運搬という項目が抵触して2009(平成21)年に奈良県警吉野署は、大阪市の電気工事士を現行犯逮捕した。その容疑は「池原ダムで釣ったオオクチバス2尾を生きたまま、水を張ったクーラーボックスに入れ、車に運搬した疑い」という。動機は「釣った魚を彼女に見せたかった」というだれにでも起こりうるような内容だった。ご注意、ご注意。

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