釣れ釣れ草 日南の水を守る会 明日への黎明

 「このままでは日野川が死んでしまう」

 日野川の源流域で釣りを楽しむ「釣り連絡協議会」の青年たちが立ち上がったのは、年号が平成と変わる時だった。

 夜を通して議論した。

 初速をつける意味でも、当時の最も著名なアユ釣り師「大西満」の名を大会の冠に戴(いただ)いて「大西満杯争奪鮎友釣大会」と考えた、その後の青年たちの行動は素早かった。

 次の日の夜、早速、大阪の大西名人を訪ねた。

 趣意は伝えてあるが、強引な訪問が吉と出るか凶と出るか、とにかく自分たちの率直な情熱を4人の青年は大西名人にぶつけて…。

 そんなドラマがこの大会のスタートだった。

 この「日南の水を守る会」の話は釣りの行き帰りに暗唱できるほど聞かされた。

 「開催した当初は河原にごみがあちらこちらに落ちていました。当時、釣れたアユも食べたいと思いませんでした。しかし、関係者のご努力のおかげで確実に川は生き返ってきました」と。

 アユシーズンが佳境を迎えた昨年の6月29日に大西さんは天寿を全うした。

 きっと命日には、熱いドラマを繰りひろげた日野川の青年(今は還暦を迎えておられようが)の釣り姿を天国から眺めているに違いない。

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