国に通じない沖縄の声  対馬丸記念館館長 平良次子

平和のため語り継ぐ 「さまよう民主主義」(7)届かぬ民意

  •  「母が亡くなる半年前に対馬丸記念館の、亡くなった子どもたちのパネル写真の前で対談をしました。『みんなが私を見ている、伝えてと言っている』と話していました」と語る対馬丸記念館館長の平良次子さん
  •  「壕の中で死んでしまった人は、もう何も言えないんだよ、だから私たちが調べたり想像したりすることで、分かってくれてありがとうという気持ちになるんじゃないかな」。子どもたちにはこんなふうに、思ったことをストレートに話すようにしていますと対馬丸記念館館長の平良次子さん
  •  「一度決まったことでも、希望さえ持てば変えられるという気持ちに日本人はもっとなるべきですね。そうしないと、おかしいと思っても何も変えられないですね」と話す対馬丸記念館館長の平良次子さん
  •  左上から時計回りに、対馬丸事件の体験を語り継いできた生前の平良啓子さん(左上)、米軍基地の移設工事が進む沖縄県名護市辺野古沿岸部(右上)、辺野古で抗議の意思を示す人たち(右下)、学童疎開船「対馬丸」(左下)のコラージュ
  •  インタビューに答える対馬丸記念館館長の平良次子さん

 国策は動き出すと止まらない。沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設がそうだ。県民の多くが反対なのに工事は進み、海は埋め立てられていく。「語り部」だった母の遺志を継ぎ、平和運動に力を入れる対馬丸記...

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