1995年の阪神淡路大震災から30年となり、天皇と皇后は兵庫県を訪問し、復興に際してさまざまに力を尽くした人をねぎらいました。震災の記憶が次世代に継承されることにもつながりました。
被災地への訪問が天皇の重要な「公務」であると考える人は多いと思います。しかし、日本国憲法には、地方訪問は天皇の仕事(国事行為)として記載されていません。実は、規定にないものが平成になって増やされてきたのです。今回のコラムでは、被災地訪問の歴史を見ることで、天皇の「公務」のあり方を考えてみます。
▽自ら知りたがる天皇
30年前の1月17日、兵庫県南部で大きな地震が発生し、テレビなどを通じ、次第に大きな被害状況が伝わるなか、天皇も動き出します。2日後の19日、非常災害対策本部長だった国土庁長官が、天皇に「内奏」をします。内奏とは、大臣などが所管の状況などを天皇に報告するものです。これは、天皇が自ら被害状況を知りたがったがゆえに、大臣がそれについて報告をしに行ったと思われます。
天皇は自身の思いも発しました。同じ日に「3千人を超す人命が失われ、多くの人々が耐え難い苦しみを味わっていることに深く心を痛めています...