太平洋戦争末期に米軍機が大阪市北東部などで銃爆撃を繰り広げた「第3次大阪大空襲」から78年となった7日、同市北区の長柄橋南詰で犠牲者の慰霊法要が営まれた。梅雨晴れの青空の下、地元住民や園児らが恒久平和を祈った。
1945年6月7日の空襲では、米爆撃機B29や戦闘機P51など約550機が白昼に飛来し、当時の旭区や都島区、豊中市などを爆撃。旧長柄橋(83年に架け替え)周辺では橋の下や淀川河川敷に避難していた人々が狙われ、400人以上が犠牲になったと伝わる。弾痕が残る橋脚の一部は南詰に保存されている。
法要は、地元の正蓮寺(渡島正教住職)が終戦直後から空襲の日に合わせて執り行っている。今年も檀家(だんか)や同寺にある「愛の恵幼稚園」「愛のめぐみ保育園」の園児らが観音菩薩(ぼさつ)像前に並び、静かに手を合わせた。
堺市で空襲を体験した南野幸代子さん(87)=大阪市北区=は「空襲はたくさんの命、子供たちの命まで奪った。若い人たちは今の平和に浮かれずちゃんと勉強し、良い人生を全うしてほしい」と祈りを込めた。
渡島住職は「戦争は絶対いけないというおじいちゃん、おばあちゃんのバトンを受け継ぎ、子供たちに伝えていくことが大切」と話した。
旭区にある城北公園堤防上の「千人塚」での慰霊法要はコロナ禍で2020年から中止が続いており、今年も開催が見送られた。