戦後の東映京都撮影所の邦画製作を長く手がけた映画監督、中島貞夫さん(88)が亡くなった。千葉出身で、日比谷高・東大の絵に描いたような秀才で東映に入社。10年足らずで退社しフリーとなるが、東映を拠点にやくざやピンク、ドキュメンタリー、アクション、戦争もの、時代劇とジャンルを問わず娯楽作にして気品ある作風で製作を続けた◆大阪芸術大教授として後進育成に当たる傍ら、80歳を過ぎても現役監督として活動。遺作の時代劇「多十郎殉愛記」(2019年)では、若い高良健吾さんと多部未華子さんを躍動させた◆生涯拠点とした京都で府市をはじめ多くの顕彰を受けたが、最大の功績は総合プロデューサーを務めていた京都映画祭を14年に京都国際映画祭へ進化、発展させ、初代実行委員長を務めたことだ◆京都映画祭は戦後創設の京都市民映画祭を引き継ぎ、1997年から始まったが行政の支援打ち切りで継続が困難に。中島さんは異業種の吉本興業と素早く手を組み、伝統の映画祭の灯をともし続けた◆「伝統を守るためには進化しなければならない」の実践。何も動かないのに中島さんを「節操がない」と批判した人もいる。「モノづくりに徹した」生きざまのすごみが理解できない方に説明しても無駄だろう。(畑)