太平洋戦争末期の第5次大阪大空襲から26日で78年になるのを前に、大阪市西淀川区の市立佃小で犠牲者の慰霊祭が執り行われた。佃地区では、防空壕(ごう)に避難していた人らが爆撃を受け、一度に亡くなったとされる。校内にある碑前に住民らが参列し、犠牲者を悼んで静かに手を合わせた。
地誌「佃史探求」によると、1945年6月26日の空襲で、左門殿川堤防下にあった防空壕付近へ着弾し、避難していた五十数人が犠牲になった。鎮魂碑は戦後は校舎の約50メートル西にあったが、2019年秋の台風でほこらとともに倒壊し、行方不明に。その後、21年に地元有志が再建した経緯がある。
法要は25日、しめやかに営まれ、伊藤忠弘校長や児童、地域住民ら約40人が犠牲者に哀悼の意をささげた。当時の体験者は高齢化しており、昨年に続いて遺族の出席はなかった。
地元で世話役を務める平田房夫さん(80)は「二度と戦争のない世の中であるよう、これまで碑を守ってきた人たちの思いを理解し、継承していかないといけない」と神妙に話した。