酒井順子「日本エッセイ小史」を読んで、もやもやが晴れた。柔らかな言葉に乗せて読者をドキッとさせ、共感を抱かせるエッセイストの手際は、本書でも鮮やかだ。
小説や詩歌、ノンフィクションと比べると、エッセイは参加自由のジャンルだけに、定義や輪郭がつかみにくく、私も本書を読むまではもやもやを抱えていた。
酒井らしい一文が出てくる。「誰にでも書くことができるエッセイは、語弊を恐れずに言うならば、文芸世界における雑草のような存在です」。小説、詩歌は手をかけて育てる必要があるが、エッセイの分野では「水や肥料をやらなくても勝手に繁茂していきます」というのだ。「枕草子」の時代から、人間は文章で自分自身の思考や感情を描き、その集積が時代を映す鏡になっている。得心がいった。
エッセイの歴史や分類を手際良く進めつつ、酒井が注目するのは、大正末期と昭和末期。難解より分かりやすさ、重さより軽さが求められた点や、それぞれの時代の言文一致スタイルが確立した点が共通し、随筆、エッセイが広く受け入れられた時代だったと指摘する。確かに、椎名誠、嵐山光三郎、林真理子らが登場した時は私も一読者として面白く読んだ。
「誰もが『...