真面目すぎて人から見たらふざけてるようにしか見えない―。町田康が漂泊の俳人種田山頭火をこう評している。「入門 山頭火」の一節である。むろん、町田は極めて真面目に語っているのだ。〈分け入つても分け入つても青い山〉と詠む山頭火の生涯を巡って言葉がほとばしる。
「解くすべもない惑ひ」を抱えて放浪し、酒に溺れた山頭火の人生に寄せる町田の共感は切実なものだ。なぜそう生きねばならないのか。山頭火は「理屈で説明ができにくい生への執着、快楽への渇き」と町田が言う荷物を背負い、放浪し、歩くことで解決を見いだそうとした。
その生き方から絞り出されたのが〈まつすぐな道でさみしい〉〈捨てきれない荷物のおもさまへうしろ〉といった自由律の句。町田は独自の文体で掘り下げていく。「なんでやねーん、みたいなことを言っている」「すんません。俺はなんも知らんのや」「ぐわあああっ。すごいやんかあああっ」などという文章の緩急は、まさに真骨頂。ふざけていると感じるなら、それは間違いというものだ。これらの文章にまさに分け入っていく自分に気がつく。
山頭火の俳句とは「人間が生きるということに、突き抜けていくもので、言ってしまえば生...