3年余りずっと手放せなかったマスク。うっかり外したまま外出してしまうと、まるで下着を着け忘れたかのように慌てふためいて戻ることもあった。
そんな私が、4月から勤務先の大学の授業ではマスクを外し始めた。3月13日以降のマスク着用は、「個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本」と政府が発表し、勤務先の大学でも4月から個人の判断に委ねられたことを受けて決めた。かなり迷ったのも事実だが、着け続けると外すタイミングを逃す気がして決めた。
4月の教室では、マスクを着けている学生が大半だった。8割から9割は着けていた体感だ。
さて、新型コロナの感染法上の分類が、きょう付けで季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられた。
ただし、3月に政府がマスクを「個人の判断が基本」としたからと言って、その日からコロナが日本中から消え去ったわけではない。実際に4月にコロナ感染で私の授業を欠席した学生がいた。きょう分類が引き下げられた後も同様だろう。油断はできない。
ただ、3年余りに及んだ制限の多い生活にひと区切りがつく点では、大きな意味を持つ日を迎えた。
9割近く着けていた学生たちのマスクは、今後どうなるのか。まず大切にしたいのは、「マスクを着けたい」と願う人に、外すことを強要しないことだ。本人や家族の健康状態は詳しく聞かない限り分からない。教室内のマスク着用率が今後大きく下がったとしても、彼らが「同調圧力」を感じずに済むことを願う。
一方で、特にはっきりとした理由がなく「みんなが着けているから」という「同調圧力」で着用を続けている人たちには、「自分がどうしたいのか」を考えるきっかけとしてほしいとも思っている。学生の中からは、「マスクを外すと容姿に自信があると思われるから、外しづらい」との声まで聞いた。
マスク着用の学生が一瞬外した顔を見ることがある。入学以来長い時間を一緒に過ごしている学生でも「こんな顔をした人だったのか」という新鮮な驚きがある。マスク着用を続けたまま卒業する学生と、もしいつか街ですれ違った時に彼らがマスクを外していたら、あまりの違いにその人と気づくのは難しいのかもしれない。そんな想像をすると、今のうちにもっと教え子のことを知りたいとも感じる。複雑な思いでこの日を迎えた。
(近畿大学総合社会学部教授)