9月28日と29日、天皇・皇后の長女である愛子内親王が、能登半島地震の復興状況視察のため、石川県の現地を訪問することになっていました。大学在学中は勉学優先で公務を控えていたことから、初めての単独での地方公務として期待されていました。
直前に発生した記録的な豪雨による被害で、訪問は取りやめとなりましたが、この一連の流れは天皇制の歴史と大きく関係します。天皇の娘である「皇女」の被災地訪問とはどんな意味を持つのか、今回は皇室と「慰問」の関係について考えてみたいと思います。
▽阪神淡路大震災で黒田清子さんも
「皇女」と言われてすぐ思い浮かぶのは、平成の天皇・皇后の娘である紀宮清子内親王(現・黒田清子さん)ではないでしょうか。実は1995年の阪神・淡路大震災で、清子内親王は被災地である兵庫県の淡路島を訪問しています。ただし、今回の愛子内親王の訪問よりも報じられる量はずっと少なく、目立たないものでした。その後、平成の天皇・皇后が主導した被災地訪問が定着し、メディアがその活動に注目するようになったため、報道量が格段に増えていったと思われます。
「浩宮」「礼宮」時代の天皇や秋篠宮はどうだったのでしょ...