【藤岡みなみ 私はこれをあきらめた】日記を毎日は無理、年1度だって貴重 「一言だけ」「空白」でもよみがえる記憶

  •  藤岡みなみ
  •  子どもの頃に書いていた日記の一部=筆者提供
  •  36年分の日記を365日に組み直した日記本をつくりました=筆者提供

 「1日たった5分、毎日続けましょう!」と言われても、その5分が難しい。英語の勉強、筋トレ、ストレッチ…。世の中には、毎日続けることがよしとされているものがあまたある。書店に行っても、電車の広告を見ても、「習慣!」という2文字が目に飛び込んできて、そのたびに「自分はコツコツ続けることができない怠け者だ」と、うっすら罪悪感を覚える。

 日記も、毎日続けるものというイメージが強い。日記を書いているか書いていないかという話になったときに、書いていない人は多くの場合「だって続けられないから」と言う。私もそう思っていた。三日坊主を地で行く自分には、日々の記録をつけ続けることなど不可能だ。

 しかし、今は全く逆の考えを持っている。日記は毎日書かなくてもいい。1週間に1度でも、1カ月に1度でも、1年に1度でも貴い価値がある。私は、毎日欠かさず日記を書くことをあきらめた。

 先日、実家で古い荷物の整理をしていたら、不思議な絵日記を見つけた。表紙には高校時代の同級生の名前がひらがなで書いてある。友人の小学生時代の日記がなぜ私の実家に? その謎は、ページをめくると明らかになった。

 前半は友人の小学生時代だが、後...

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