東京都文京区白山に、日本近代医学の礎となり今も悼まれ続ける女性の墓がある。東京メトロ丸ノ内線や南北線の後楽園駅から徒歩10分ほどの場所にある、江戸時代創建の念速寺を訪ねた。(共同通信=團奏帆)
本堂裏手の墓地にあるのが、文京区指定史跡「美幾女墓」。美幾は、本人承諾のもと死後遺体を解剖する「特志解剖第1号」となった女性だ。それまでの解剖は刑死人に限るなど制約が多く、社会通念上の忌避感も強かった。美幾の例が現在の献体制度への道を開いた。
美幾は駒込追分(現・文京区向丘)の彦四郎の娘とされ、江戸末期に家計を助けるため吉原遊郭で遊女となり梅毒に罹患。1869年8月に34歳で亡くなり、東京医学校(後の東京大医学部)で解剖された後、念速寺に埋葬された。
墓石は保護のためアクリル板で覆われ、彫られた「美幾」の名は一部消えかかっていた。墓の前には花が供えられ、住職によれば、日本各地から医師や医学生らが頻繁に訪れては手を合わせているという。
寺には、戦時中に供出したものの武器にされずに戻ってきた鐘も。戦後埼玉県深谷市の応正寺に引き取られていたが、念速寺の鐘と分かり1999年に返された。今は本堂の片隅に...