オウムは24時間マントラを流して次々と施設を建設。静かな酪農の村で、住民たちは団結し立ち上がった

サティアン並ぶ上九一色村で教団と対峙(下)【地下鉄サリン事件30年】

  •  オウム真理教の「第2、第3、第5サティアン」跡地に立つ慰霊碑を訪れた江川透さん=2024年11月、山梨県富士河口湖町
  •  山梨県上九一色村(当時)に建つ「第2サティアン」(右)などのオウム真理教施設=1995年2月
  •  オウム真理教「第2、第3、第5サティアン」の跡地で、当時を振り返る江川透さん=2024年11月
  •  山梨県上九一色村(当時)に広がるオウム真理教施設。手前はサリンを製造した「第7サティアン」=1995年2月
  •  オウム真理教の「第2、第3、第5サティアン」の跡地で、当時を振り返る江川透さん

 酪農が盛んな静かな村に、突如、異様な集団が押しかけてきたのは、1989年の8月だった。一日中騒音を出し、お経のような「マントラ」を響かせ、「サティアン」と呼ばれる施設を次々と建設。山梨県上九一色村(...

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