東京都清瀬市の西武池袋線清瀬駅周辺は、昭和初期から結核療養の地として病院街が発展してきた。畑や雑木林が残るのどかな街で、かつては治療が難しく、人類を苦しめた感染症治療の歴史に触れた。(共同通信=藤原朋子)
駅の南側に結核専門の「東京府立清瀬病院」が1931年に開院したのをきっかけに、雑木林を開拓して十数の病院ができた。多いときに約5千人の結核患者が病院街で療養したとされる。俳人石田波郷や作家福永武彦らも清瀬で療養生活を送った。
39年には「傷痍軍人東京療養所」が開所し、陸海軍病院から結核患者が転送された。療養所には「外気舎」と呼ばれる病棟があり、うち1棟が現在の「国立病院機構東京病院」の敷地に移設されて「外気舎記念館」となった。木造の小屋は普段、外観のみ見学できる。窓は大きく開放でき、室内には簡素なベッドが2台置かれている。
抗結核薬の発見以前は、きれいな空気の中で栄養を取り、静養することが治療方法だった。記念館を管理する清瀬市郷土博物館の東野豊秋館長は「外気舎では回復期の患者が2人一組で外気に当たって寝泊まりし、花の栽培や家畜の飼育をする作業療法もしました」と説明する。
駅北口から...