米子の夏を彩る「米子がいな祭」が第50回の節目を迎える。市民参加型の祭りとして1974年に産声を上げ、山陰を代表する夏祭りの一つに成長した。ゼロから歩みを始めて、米子がいな万灯、米子がいな太鼓、やんちゃパレードなど、新しい物好きの米子にふさわしい名物イベントで進化していく。半世紀にわたる積み上げは、商都米子に活力を与え、市民の誇りとなる。山あり谷ありだったが、米子青年会議所をはじめとする民間団体を中心に、市民の熱い思いが祭りを支えてきた。コロナ禍も乗り越え、今夏、新たな歴史へ第一歩を踏み出す。これまでの祭りを日本海新聞の記事で振り返った。
第1回の日本海新聞の前日予告記事には冒頭、<昨年までの「米子まつり」が全面的に衣替えをし、新しいアイデアのもとに再出発した「米子がいな祭」はいよいよあす三日、二日間にわたる〝真夏の饗宴″の幕を開く。>とある。見出しにも、「ゼロから華麗な創造へ」という文字が踊り、市民の祭に懸ける期待感が伝わってくる。
そして祭り初日の8月3日には、当日告知の広告が出稿。
祭りの詳報は8月4日、5日両日の新聞で報道。「ちびっこ広場」「全国有名太鼓競演」「納涼花火大会」「時代行列」などさまざまなイベントが行われた。
祭り後の8月6日からは「大いなる創造―米子がいな祭に拾う―」を全7回で連載。オープニングからフィナーレまで祭の出来事を詳しく報じている。