米子がいな祭 日本海新聞の記事で振り返る半世紀(WEB版) #3

黎明期その2 <第7回(1980年)~第10回(1983年)>

 米子の夏を彩る「米子がいな祭」が第50回の節目を迎える。市民参加型の祭りとして1974年に産声を上げ、山陰を代表する夏祭りの一つに成長した。ゼロから歩みを始めて、米子がいな万灯、米子がいな太鼓、やんちゃパレードなど、新しい物好きの米子にふさわしい名物イベントで進化していく。半世紀にわたる積み上げは、商都米子に活力を与え、市民の誇りとなる。山あり谷ありだったが、米子青年会議所をはじめとする民間団体を中心に、市民の熱い思いが祭りを支えてきた。コロナ禍も乗り越え、今夏、新たな歴史へ第一歩を踏み出す。これまでの祭りを日本海新聞の記事で振り返った。

電飾城問題<第8回(1982年)>

1981年7月2日付
1981年7月11日付
1981年7月13日付
1981年7月15日付

第5回に実施した「電飾米子城」が復活した。しかし、史跡保存の観点から、撤去か存続かの論戦が起きた。

◎ミス米子コンテスト

1983年8月7日付

<十七人の美女たちが一人ずつ軽快な音楽に合わせて水着姿で登場。会場から盛んな拍手を浴びた。>ミス、準ミスの合わせて3名にグアム島旅行がプレゼントされた。

◎シンボル作りに悪戦苦闘

1980年7月13日付<第7回>

<この〝ドラえもん″君、高さが3.5㍍、幅が2.5㍍の超特大。昨年のシンボル像〝ウルトラマン″に比べるとやや小型だが、これは前回、フィナーレのがいなパレードにかつぎ出そうとした際、電線に引っかかるなどの失敗があったため。>

先人の皆さん、苦労しておられますね。

1982年7月8日付<第9回>

<直径7㍍の既設の噴水池から、モーターで水を17㍍上の箱(縦4㍍、横4㍍)までくみ上げ、箱の内側に設けられた九十六本のノズルから、シャワー上に落下させる仕組み。>

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