米子の夏を彩る「米子がいな祭」が第50回の節目を迎える。市民参加型の祭りとして1974年に産声を上げ、山陰を代表する夏祭りの一つに成長した。ゼロから歩みを始めて、米子がいな万灯、米子がいな太鼓、やんちゃパレードなど、新しい物好きの米子にふさわしい名物イベントで進化していく。半世紀にわたる積み上げは、商都米子に活力を与え、市民の誇りとなる。山あり谷ありだったが、米子青年会議所をはじめとする民間団体を中心に、市民の熱い思いが祭りを支えてきた。コロナ禍も乗り越え、今夏、新たな歴史へ第一歩を踏み出す。これまでの祭りを日本海新聞の記事で振り返った。
◎仕掛花火「ガイナガラ」
<お目当ての世界最長の仕掛け花火「ガイナガラ」は、点火のタイミングがやや遅れたものの錦海を縦断する火災の滝に詰めかけた観客は思わず歓声を上げていた。>
翌年は大山の標高1711㍍まで延ばしギネスに挑戦した。
◎米子がいな万灯
第12回(1985年)に本場の秋田竿燈ががいな祭に招待され、米子駅前通りで初日の大パレードのフィナーレを飾った。
<「おうえたさっ」―。第十三回米子がいな祭の超目玉、三十一連のがいな竿灯が米子の目抜き通りを練り歩いた。>
この年から「米子がいな万灯」と呼び名を改めた。
◎ティーンズストリート
地元高校生が企画した「フルーツバスケット」「フォークダンス」「大食い大会」「のど自慢」などまるで学園祭が丸ごとやってきたようなイベント。
◎やんちゃばやし
<今回の祭り最大の呼び物となった「やんちゃばやし」には、沿道から飛び入り客も加わって昨年を大きく上回る三千人のにぎわい。>
◎他にも盛りだくさんのイベントで市民を楽しませた
炬火を持って走る松本市長(当時)
当時全国的に流行していた巨大迷路(第14回)
<名付けて「バルーンがいな城」。四層の屋根を持つ天守閣で、縦横10㍍、高さ15㍍のビッグサイズ。城をかたどったアドバルーンとしては国内最大、と主催者は鼻高々。>