米子の夏を彩る「米子がいな祭」が第50回の節目を迎える。市民参加型の祭りとして1974年に産声を上げ、山陰を代表する夏祭りの一つに成長した。ゼロから歩みを始めて、米子がいな万灯、米子がいな太鼓、やんちゃパレードなど、新しい物好きの米子にふさわしい名物イベントで進化していく。半世紀にわたる積み上げは、商都米子に活力を与え、市民の誇りとなる。山あり谷ありだったが、米子青年会議所をはじめとする民間団体を中心に、市民の熱い思いが祭りを支えてきた。コロナ禍も乗り越え、今夏、新たな歴史へ第一歩を踏み出す。これまでの祭りを日本海新聞の記事で振り返った。
第21回(1994年)
前年の第20回で好評だったバルーン米子城が今度は米子市公会堂前に出現した。
第22回(1995年)
第23回(1996年)
有名人の登場で会場も大にぎわい。
第24回(1997年)
ペンギン君は体調4㍍、幅2㍍と迫力満点。
第25回(1998年)
第26回(1999年)
ミス米子コンテストが、この年から「HOUKIゆめ大使コンテスト」にバトンタッチ。
第27回(2000年)
2000年と言えばミレニアム一色。当然がいな祭も流行に乗った。
第28回(2001年)
こんなこともありました。。。
第29回(2002年)
がいな祭といえば、「国際交流・国際親善」。この年はアメリカ・バーモント州から和太鼓団が来日した。
第30回(2003年)