【逍遥の記(23)】郷愁に似た感慨が胸にこみあげる

 ヒューマン・ドキュメントに徹した作家「庄野潤三展」

  •  庄野潤三展の展示風景。自宅の書斎を再現した。左に古備前の大甕がある
  •  「ザボンの花」が掲載された日本経済新聞(1955年)
  •  米国からの帰国時、横浜港で(1958年8月11日)。後列右から2人目が庄野潤三、前列中央が長女の夏子
  •  神奈川・生田の新居の庭で(1961年4月)
  •  「鮨喫茶すすす」では期間限定で徳島の郷土料理「かきまぜ」を提供している

 神奈川県ゆかりの作家である庄野潤三(1921~2009年)の遺族から、原稿や書簡、写真などを寄贈された神奈川近代文学館は「庄野潤三文庫」として保存している。それらを生かした「庄野潤三展」(~8月4日)が始まり、初日の6月8日に足を運んだ。展示を見た後で、会場に来ていた長女の夏子、長男の龍也に話を聞くこともできた。(敬称略)

 ■古備前の甕と3Bの鉛筆

 会場に入るとすぐに、古備前の大きな甕(かめ)が目に飛び込んできた。『夕べの雲』に、その甕を手に入れるまでのエピソードが記されていたことを思い起こす。主人公が、大きな甕が家にあったら気持ちがゆったりとするのではないかと考え、求めたのだ。

 使い終わった鉛筆もある。ステッドラーの3Bの鉛筆が山のように積まれている。家の模型も展示されていた。郷愁に似た感慨がこみ上げ出てくる。

 庄野が40歳の時から50年近く暮らし、家族小説の舞台ともなった家は、小田急線の生田駅から20分ほど坂を登った丘の上にあり、庄野は「山の上の家」と称した。住所でいえば、川崎市多摩区のその家を、私は2度、訪ねたことがある。

 1度目は生前の2004年、取材だった。インタビューの後...

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