日本軍は捕虜に過酷な生活を強いた。資料は終戦直後に焼却。「ふたをされた負の歴史」を掘り起こした女性に聞く【つたえる 終戦79年】

  •  捕虜収容所・民間人抑留所事典を手にする笹本妙子さん
  •  新潟県の「直江津捕虜収容所」で死亡したオーストラリア兵捕虜の碑(右)と捕虜虐待の罪で死刑になった8人の日本人所員の碑(左)。離れて立つ二つの慰霊碑の間には収容所跡地を示す碑(中央)も建てられている=新潟県上越市の平和記念公園
  •  笹本妙子さん

 太平洋戦争中、日本軍は捕虜にした連合国軍の兵士らを日本国内に連行した。彼らは各地の収容所で強制的に働かされ、その数は約3万6千人に上るとされる。過酷な労働や栄養不足が原因で多くの死者が出たが、実態は...

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