ディドロの小説『ラモーの甥』では<哲学者>にさんざん悪口を言われたフランスの大作曲家ラモーだが、昭和の日本に彼を熱愛する文士がいた。その人の名は坂口安吾。1931年に発表したエッセイ『現代仏蘭西音楽の話』の冒頭で、「ハナハダ偉大なアインシュタイン氏によれば、古典音楽はバッハ、モツアルト以外の全てを抹殺して差し支へないと言ふのです」と振っておいて、自分の考えではそこにラモーを加えなくてはならないと力説した。
前者二人を「多少とも重い冥想を載せて、その憂鬱をワルツに紛らす都会人」と見立てた上で、ラモーを「エレガンなミニュエットに憂身を扮す可憐な淋しがりやです」といとおしがり、『シンデレラ』や『眠れる森の美女』のおとぎ話を持ち出しながら、「素敵に甘美な哀愁がラモオの音楽にはいつも流れてゐるのです」とうっとりする。<無頼派>のレッテルをはがしてみると、安吾は思いのほか乙女チックな趣味の持ち主だったようだ。また、戦後になってもラモーへの心酔は変わらなかったとみえ、飼い犬のコリーをラモーと名付けて可愛がった。
小川洋子(1962~)の『やさしい訴え』(1996年、文春文庫)は、そのラモーの音楽が...