【逍遙の記(30)】被害者と加害者の間の深い溝

闇から光明を見いだした人の言葉

  •  「普通の子」
  •  朝比奈あすかさん=2025年1月、東京都港区
  •  「熊はどこにいるの」
  •  木村紅美さん=2025年2月、盛岡市
  •  「透明を満たす」

 被害者と加害者は時に入れ替わる。誰も傷つけず、誰にも傷つけられないで人生を終える人はおそらくほとんどいないだろう。しかし、両者は時間の流れ方がまったく違う。被害者と加害者の間には深い溝がある。

 ■押し寄せる惨めさ

 作家の朝比奈あすかの小説「普通の子」(KADOKAWA)は小学校でのいじめ問題を扱い、加害者と被害者の認識の違いの大きさを浮き彫りにする。

 夫と同じ会社で働く佐久間美保はある日、小学5年生の息子が学校の2階ベランダから飛び降りたという連絡を受ける。息子は踵を骨折し、入院した。一体、何があったのか。理由を尋ねても、息子はなかなか話をしてくれない。教師や親たちから事情を聴くうちに、背景にいじめがあると分かってくる。息子は被害者なのか、それとも加害者なのか。真相を探るうちに、美保自身が小学生だった日々がよみがえる。

 美保は3年生の頃はいじめられていた。首謀者はアケミだ。その経験があまりにつらかったから、5年生のときに男子の野々村や女子のエリがターゲットになると、いじめる側に回った。かばえば、やられる。教師も止められない。小学校時代は楽しくなかったが、美保は「生き延びた」と思ってい...

残り 1951 文字
このページは会員限定コンテンツです。
会員登録すると続きをご覧いただけます。
無料会員に登録する
会員プランを見る
会員登録済みの方
この機能はプレミアム会員限定です。
クリップした記事でチェック!
あなただけのクリップした記事が作れます。
プレミアム会員に登録する ログインの方はこちら

トップニュース

同じカテゴリーの記事