塀跡発掘現場を公開 北側は「掘立柱塀」 大御堂廃寺跡

 国指定史跡・大御堂廃寺跡(倉吉市駄経寺町2丁目)の北側部分で、寺院と外部を区画する塀の跡が初めて発見されたこと受け、市は8日、現地を報道陣に公開した。新たな遺構は、過去に同史跡内で発見された塀とは異なる「掘立柱(ほったてばしら)塀」の形状をしていることなどが報告された。

 大御堂廃寺跡は、650~675年ごろの創建とされる山陰地方最古の寺院跡。市によると、4月上旬から行った発掘調査で、県立美術館南側約40メートル地点で東西約10メートルにわたって直径約70~90センチの六つの穴を発見した。寺院北限の塀の遺構とみられる。

 すでに東西の境界としては粘土や土をつき固めて積み上げる「築地塀(ついじべい)」が確認されているが、北側部分の塀は、掘った穴に柱を立てる簡素な構造の「掘立柱塀」という。塀の両側には排水用とみられる水路があったほか、近くからはこれまで知られていない建物の遺構も見つかった。

 市文化財課の小田芳弘主任学芸員は「北側は寺院の裏手にあたるため、簡素な作りにとどめたのではないか」と推測。その上で「整備を進めている史跡公園では図やAR(拡張現実)で寺院を紹介する予定で、その絵が明確に描ける」と寺域の北限が確定した意義を強調した。

 1996年から始まった同史跡の本格的な発掘調査は今回で最後。寺院正面の南側の発掘については、民有地のため予定されていないという。

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