夏目漱石の「彼岸過迄」に鉄道ミステリーを思わせる場面がある。大学を出たばかりの敬太郎が友人須永の叔父に職の世話を頼んだところ、言いつけられたのは探偵まがいの用事だった。当時の東京を走る電車の小川町停留所で下車する黒い中折れ帽の男を見つけ、さらにその後2時間ほどの男の行動を報告しろというのだ。
ところが小川町は各所から多くの電車が集まって通過する停留所で、どこで張り込めばいいか分からない。電車は続々とやって来て乗客が行き交う。慌てる敬太郎。にぎやかな停留所の臨場感に引きつけられる。
自意識を持てあます近代の知識人の姿と恋愛に重きを置くのが「彼岸過迄」の正当な読み方だとは思うが、ミステリーさながらの謎を埋め込み、入り組んだ電車の描写が物語を加速させる小川町停留所の章も私には魅力がある。
鉄道が推進する小説と言えば、鉄道ミステリーも欠かせない。書店で赤い列車が駆け抜ける表紙のハヤカワミステリマガジン7月号の特集「令和の鉄道ミステリ」が目に留まった。車両の密室性や運行ダイヤの正確さゆえ、さまざまなトリックが読者を引きつけて放さないジャンルで、「オリエント急行殺人事件」「点と線」といった名作を...