9月27日の自民党総裁選で石破茂氏が選出され、国会での首相指名を経て総理大臣となった。今回は、総裁選の最終演説で石破氏が自らを「至らぬ者」と語ったことについて考えてみたい。
この演説の冒頭近く、石破氏はこう述べた。「私は至らぬ者でありまして、議員生活38年になります。多くの足らざるところがあり、多くの方々の気持ちを傷つけたり、いろんな嫌な思いをされたりされた方が多かったかと思います。自らの至らぬ点を心からおわびを申し上げます。」
やや弱気とも取れる言い方に驚いた人もいるのではないか。推測だが、この「至らぬ者」というのは、聖書が教える「謙遜」(へりくだり)に基づく言葉ではないだろうか。
日常的には「謙遜」は「能力や成果を低めに表現する」という意味で使われるが、ビジネスマナーの教科書などには「度をすぎた謙遜は良いイメージを与えない」などとも書かれている。一方でキリスト教の「謙遜」は、「神の前にへりくだり、自分の小ささを知ること」という完全に肯定的な意味で使われている。聖書には「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」など、何カ所もこれに触れた箇所がある。
石破氏の曽祖父はプ...